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旧琴似川の遺跡群

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 札幌市内においても旧琴似川流域で、擦文時代の竪穴住居跡が集中してみつかっている。旧琴似川は、現在そのほとんどは失われ、かろうじて一部用水路として残っているだけである。しかし、本水系は少なくとも明治年間頃までは、豊平川および標高二〇メートル付近にある道庁、北大植物園、知事公館の池などに名残りをとどめる湧泉池(アイヌ語メム、ヌプサムメム・ピシクシメム・キムクシメムなど)からでる小河川と、円山・宮の森方面の山から流れてくる河川(ケネウシペツ川など)を現在の中央競馬場北側付近であわせ、札幌北高等学校付近をへて、麻生町にいたり、篠路町でフシコサッポロ川に合流していた河川である。本地帯は、市街化が早かったためこれらの遺跡群の存在は明確ではなかったが、明治二十年代後半に高畑宜一によって作られたと考えられる竪穴住居跡の分布地図が発見され具体的内容がかなり明らかになった(図1)。これによると、当時まだ埋まり切らないで地表から確認できた竪穴住居跡の総数は記入された印の実数では七二〇軒ある。しかし、最近の発掘調査とか工事立会調査の結果からみると、標高七~二〇メートルの旧河川の両岸から各約二〇〇メートルの範囲に遺跡が濃く分布しており、完全に川の氾濫で埋没した例も含めると、その実数は一〇〇〇~二〇〇〇軒近くあったものと推定される。また、旧琴似川の上流部にあたる札幌扇状地上(標高二五~三〇メートル)、真駒内から藤野にかけての豊平川の上流部(標高五〇~一五〇メートル)、月寒川流域の白石付近(標高二〇~四〇メートル)、羊ケ丘付近(標高六〇~七五メートル)、発寒川扇状地の末端付近(標高一〇~四〇メートル)、紅葉山砂丘の西端(標高五メートル内外)などにも規模は小さいながら点々と擦文時代の遺跡がみつかっている。ちなみに、市内でこの時期の遺跡総数は、現在九一カ所登録されている。

図-1 旧琴似川流域の竪穴住居跡分布図

 それでは、今までに発掘調査された遺跡を中心に札幌市内の例について紹介しよう。