関嘉左衛門兼助長々年寄迄亀田奉行相勤、依之埣高橋忠右衛門兼貞被召出の上、先祖家督被仰付。其上兼助え、石狩御場所の内支配被下之。
とあり、イシカリ地域の藩士の知行は、寛文から元禄期にかけて逐次宛行われたもののようである。
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写真-1 松前主水広時日記(横浜市松前之広氏蔵) |
イシカリ川の河口は藩主の主要なアイヌとの交易場であり、したがって藩士の知行地鳥屋場は内陸部に入っており、イシカリ十三場所の一つとなるサッポロもここでほの見えてくる。
元禄十三年(一七〇〇)の『松前藩支配所持幷家中扶持人名前帳』(以下『支配所持名前帳』と略記)によるイシカリ場所持の名前は次のようである。
手汐石猟(イシカリ)ノ伊別満多北村目名川白府村喜古内村同川鳥屋五拾九ケ所 | 松前 藤兵衛 |
辰四十三歳 | |
石猟ノ遊張志古津留参及部村同川礼髭村鳥屋拾八ケ所 | 松前 主水 |
辰四十九歳 | |
(中略) | |
石狩ノシユマ満布乙部村同川鳥屋六ケ所 | 下国新五兵衛 |
同六十三歳 | |
(中略) | |
石狩ノ沙津保呂鳥屋壱ケ所 | 小林兵左衛門 |
同五十歳 | |
(中略) | |
石狩ノ沙津保呂鳥屋一ケ所 | 目谷六左衛門 |
同四十三歳 | |
前同断 | 高橋左五右衛門 |
同三十八歳 | |
(中略) | |
石猟ノ志古津鳥屋一ケ所 | 南条 安右衛門 |
同二十九歳 | |
石狩ノ賀波多鳥屋一ケ所 | 土屋 弥七郎 |
同断 |
注・南条の支配所「石猟ノ志古津」は「石猟ノしのろ」の誤りか、志古津は石狩と区域を別にしており、享保十二年の『松前西東在郷幷蝦夷地所附』によれば、南条安右衛門の支配所は「しのろ」になっている。
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写真-2 松前藩支配所持幷家中扶持人名前帳(東京大学史料編纂所蔵) |
この支配所持八人のうちにも高橋のように元禄期までに、新たに支配所持として取り立てられたものもいたであろう。『津軽一統志』は侍中を三四人あげているが、元禄年代は支配所持が七六人にもなっていることでも理解できる。