ビューア該当ページ

準備された手引書

644 ~ 645 / 1039ページ
 『蝦夷紀行』等のように類似の調査報告ができるのは、巡回出発にあたり事前に準備された資料が配布されていたためと考えてよい。まず、江戸で入手できた資料もかなりあったようだ。幕府は松前藩に嘉永六年十二月、地図とともに「蝦夷地惣体当時の模様、且旧記をも取調、委細可被申聞」(秘書)よう命じ、村垣範正は「文化度の書物類、為調候」(公務日記)といい、こうした記事は出発後にまで見える。
 しかし、当時の最新データは、一行が松前に到着してから藩との交渉の中で得たと思われる。「公辺御役人御廻島ニ付、松前蝦夷地共、大絵図幷小名里数委細取調」(松前箱館雑記 一)べ、運上金、出産物、アイヌ人別と役名、漁場と三年間の出荷高、漁業期間、場所の備米と仕込米、勤番所と武器数など、詳細な資料を出させたという。この内、運上金、人別、出荷高などは場所請負人が材料をととのえ提出したらしい。これら資料をもとに、調査団員の巡回手引書が編まれるのは当然だろう。それがどのようなものであったか。大日本古文書幕末外国関係文書八に載る「蝦夷家数人別産物船数牛馬其外取調帳」もその例だろうが、これにはイシカリの記事はない。イシカリにふれたものとして、三例を紹介しておこう。
 一 『江戸御役人松前蝦夷地海岸御巡見控写
 役人名前一覧にはじまり、福山城下からソウヤを経て箱館までの里程と簡単な土地の説明を付す。カラフトについてきわめて粗略なのが特徴。安政五年加藤重兵衛写とある。
 二 『蝦夷誌
 文の初めに『蝦夷州』とあり、場所ごとに書き出された材料を一冊にまとめたものらしい。オタルナイ分はなく、西蝦夷地はアツタ、イシカリ、ハママシケ……の順に載っている。末尾に「安政二年於東都、会津大野英馬ヨリ借用」し写したとある。大野は堀利熙の従者に名の見える大野嘉助のことか。
 三 『安政庚寅元 野作戸口表』『按西掌記 安政寅卯』などを合冊した資料
 これなども調査におもむく人たちに準備された道中手引、もしくは蝦夷地の概要書の一種なのだろうか。すなわち、前者には
地名戸口
ヲタルナイ二六 戸一〇二 人五五 人四七 人
イシカリ一六五六七〇三二五三四五
アツタ四一二二一九

 とある。