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士分の雇農民

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 漁間農業の着実な展開とともに、この時期におけるイシカリ農耕の特色は、士分による農務運営にある。一つはイシカリ役所の詰合役人が農事専従者を用して開墾耕作にあたらせる場合で、新井村や城開墾地がその例である(第九章)。もう一つは在住制の進捗による農民の来住で(第七章)、大友亀太郎指導の御手作場経営(第八章)も、この延長線に展開されたといえる。
 イシカリ改革時の作物としては、穀類で粟、稗、麦、いんげん豆、小豆等、野菜類は大根、人参、茄子、きゅうり等、早くから蝦夷地で植えられていた種類がほとんどだが、当時特異なのは一定の好成績をみた稲、輸出用ないし加工用(切干し、澱粉、焼酎)の馬鈴薯があげられる。また、将来の養蚕事業を予定して、原生桑樹の伐採禁止と苗木移植がはかられた。
 これら農産物のほとんどが自家消費であり、ごく一部がイシカリ場所内で売買消費され、場所外に商品として移輸出されたのは馬鈴薯にすぎない。これもまた箱館産物会所に莫大な損失をおよぼしたといわれる。そしてイシカリ場所内で和人が消費する主食農産物の大半は、前代と同様移入に頼り、改革を経て定着した漁間農業は、その一部を補うにとどまった。文久二年(一八六二)の新興農村ハッサムにおける見分を紹介しておこう。
(前略)五穀野菜の類、内地に異らす。其中、麦、エンドウ豆、上出来。稲も可なりの出来。真桑瓜も植付あり。冬向にても菜、ねぎの類、随分出来る。イシカリえ売出すと云う。
(蝦夷客中日記)