イシカリ改革時の作物としては、穀類で粟、稗、麦、いんげん豆、小豆等、野菜類は大根、人参、茄子、きゅうり等、早くから蝦夷地で植えられていた種類がほとんどだが、当時特異なのは一定の好成績をみた稲、輸出用ないし加工用(切干し、澱粉、焼酎)の馬鈴薯があげられる。また、将来の養蚕事業を予定して、原生桑樹の伐採禁止と苗木移植がはかられた。
これら農産物のほとんどが自家消費であり、ごく一部がイシカリ場所内で売買消費され、場所外に商品として移輸出されたのは馬鈴薯にすぎない。これもまた箱館産物会所に莫大な損失をおよぼしたといわれる。そしてイシカリ場所内で和人が消費する主食農産物の大半は、前代と同様移入に頼り、改革を経て定着した漁間農業は、その一部を補うにとどまった。文久二年(一八六二)の新興農村ハッサムにおける見分を紹介しておこう。
(前略)五穀野菜の類、内地に異らす。其中、麦、エンドウ豆、上出来。稲も可なりの出来。真桑瓜も植付あり。冬向にても菜、ねぎの類、随分出来る。イシカリえ売出すと云う。
(蝦夷客中日記)