なお、旧場所がどのように四番所の管轄に変更になったかという点であるが、同一断簡中に以下のような、各場所の乙名・小使の記載がみられる。
①(中川)上カバタ、下カバタ
②シノロ、下カバタ
③ナイホ、上川
④(ユウバリ)上ユウバリ、下ユウバリ
⑤上ツイシカリ、サッポロ、下ツイシカリ
これらから判断すると四つの番所のうち、(一)中川は上・下カバト、シノロの石狩川中流域、(二)ユウバリは上・下ユウバリの夕張川流域となる。サッポロは旧場所の上サッポロ、下サッポロのように上・下がみられなくなっている。この上・下サッポロのうち、どちらが退転したか不明であるが、サッポロと上・下ツイシカリが一ブロックとなっている。おそらく(三)ハッサムの番所の区域と思われる。ナイホが(四)上川となっているのは、ここにみえるナイホ乙名イナヲサンは、居住地との関係で上川に記されたとみられる。イナヲサンは、安政三年人別帳にやはりナイホ乙名ニシトレンの子イナウエサンとみえる。ニシトレンはチクベツ(秩父別)出身である。そのために上川に記載されたのであろう。居住・出身地別に記載する原理がここでもみられる。(四)上川の番所はこのチクベツにあったが、上川は五一軒、二〇九人と最も人別が多かった。しかも上川には場所がおかれていず、石狩川上流域のアイヌは、以前はみなトクビタ、シノロ、上・下サッポロなどの場所人別にとりこまれていた。しかし、新たな記載原理によりこれまで〝無人〟であった上川に、いっきょに多数の〝居住〟がみられるようになったのである。石狩川の河口に所在し、人別数の最も多かったトクビタ場所は、これにより有名無実となったせいか、場所乙名・小使の任命もみられなくなる。トクビタ場所は、安政三年の人別帳に二一七人の記載があるが、実際には二三~二四人の居住にしかすぎなかった。