『御金遣払帖』で島判官離任の二月から西村権監事札幌着任の十一月までに経費を計上した建物は、
一番小屋、
本府本陣、権大主典
役宅、判官少主典
役宅、使掌長屋、人足小屋、木挽小屋、御用炭竈、仮宮、鍛冶小屋、御蔵二棟(含二階屋一棟か)、移住民
家作、営繕物置、運送馬小屋などである。しかし少主典邸などは何度も同名の建物が登場するので、複数建設しているのであろう。
高見沢権之丞の日記といわれる『札縨御開拓記』には、西側一番集議所、二番少主典邸、三番少主典邸、東一番使掌長屋、西二番使掌長屋、一番板蔵、二番板蔵、
本陣、大主典邸、東一番少主典邸、東二番少主典邸、東三番病院、仮宮、営繕物置、以上一四棟、ほかに民家一〇二軒、板倉二カ所とある。この記述や高見沢の旧札幌図は、『御金遣払帖』の記述や「
札幌区劃図」の建物配置と酷似しているので、ある程度の信頼性はある。
これらのほか運河開削工事なども考慮にいれると、この三年中にかなり
札幌本府建設工事は進行したと考えられる。確かに三年七月
札幌本府建設の方針は中断したが、札幌を役所としての体裁を整えること、都市
札幌本府の形態の整備は続けられたことになる。そして四年四、五月頃の状態を示すと思われる「
札幌区劃図」(二章四節参照)の建物配置が、島判官の「
石狩国本府指図」に酷似しているから、この三年中の建設事業は島判官が計画していた
本府構想に沿って行われていたといえるであろう。
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写真-7 林少主典の官宅 高見沢権之丞『札幌之図』には「営繕掛林様」, 『札縨御開拓記』では「西二番少主典邸」とある(北1西1,北大図) |
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写真-8 西二番使掌長屋と西三番少主典邸『札縨御開拓記』による(北大図) |