ビューア該当ページ

移民扶助規則の制定

131 ~ 133 / 1047ページ
 明治二年(一八六九)十一月、開拓使は仮に移民扶助規則を制定した(表4)。しかしこの仮規則は、三年から四年にかけての移民政策の中でまとまった規則である可能性がある。なぜなら次のような実態との相違があるからである。開拓使は三年閏十月二十七日に館藩(旧松前藩)へ札幌への商民を募集した。その中の布達には、招募移民について、福山札幌間の旅費は家族の人数に応じて支給すること、家作料二〇〇両を渡すが、その半額は一〇カ年賦(国立公文書館の府県史料には一〇カ月としている。『東久世日録』には「年賦返上」とあるので、おそらく年が正しいと思われる)で返済することとある(部類抄録 道図)。また募移工商への三カ年間手当一五〇両や就産資金三〇両などは、四年に札幌に移住した移民との交渉で決まった内容と思われる(評議留 道図)。仮規則では、すでに六歳以下、七歳から一四歳、一五歳以上の年齢別の支給方法になっている。しかし庚午移民は、三歳以下、四歳から一四歳、一五歳以上の年齢別支給である。さらに支給額も、四年になって辛未移民が移住すると庚午移民の支給額とに差がでてくる。そして年齢別の支給の仕方、支給米額とも仮規則と同様になるのは、四年五月以降である(仕上ケ御勘定帳 道文三二二)。以上のような相違が明確である。今後この仮規則の検討が必要である。
表-4 移民扶助仮規則
募移農民扶助
1日
15歳以上7歳以上6歳以下塩噌料
玄米5合同 4合同 3合銀 5分
募移及び自移農民給与家屋1小屋掛料5両
農具…鍬(2), 山刀(1), 鐇(1), 鎌(2), 鋸(1), 砥(2), 鑢(1), 莚(10)
家具…鍋(2), 釜(2), 椀(人別), 畳(4), 手桶(1),
  米洗桶(2), 薄縁(6), 蒲団15歳以上(2), 15歳以下(1)
募移工商家作料 100両3ヵ年間手当 150両就産資貸与 30両
自移工商貸与家作料 100両--
開拓使事業報告』第2編(勧農)より作成。

 さらに開拓使は四年二月、札幌市街に移住を願い出る近郡の商人へ、家作料を一戸金一〇〇両、無利息一〇カ年賦で貸与することにした。しかし昔話には、妻子を連れていることを条件としていたという話、妻帯が条件であったが、開拓地で女性が少なかったため、同じ女性が違う男と何度も永住願いの届をしたという話などが残っている(さっぽろ昔話)。妻子同伴や妻帯が条件であったかどうかは布達では確認できないが、永住の本意を確認するためにそのような条件を審査した可能性はある。またその営繕費の貸与の仕方については、多少違いがあるが、『さっぽろ昔話』には、移民への貸与金はまず一〇円を返済分として差引き、九〇円を三回に分けて支給したこと、家屋を建てる材木を切る時に二五円、その木材を建築場所に運んだ時に二五円、屋根を葺いた時に二〇円、落成した時に三〇円を下げ渡したことなどが記載されている。
 なお五年九月本庁管内諸官員の永住者にも家屋営繕費を貸与することにした。等外付属には一五〇円、少主典・権少主典・史生・使掌(一二等~一五等職)には二〇〇円、大主典・権大主典・中主典・権中主典(八等~一一等)には三〇〇円などと官員の等級に応じて貸与した(開拓使布令録)。しかし『さっぽろ昔話』で、大村耕太郎が「等外付属には一五〇円、史生使掌には二〇〇円、少主典には二五〇円から三〇〇円と記憶している」といっている。
 五年に至り二年以降施行の募移民扶助を廃止し、また移住者の家作料及び資本金の貸与は七年七月、勧業資本は九月限りで廃止した。従前の貸金は旧法によって返納させているが、営繕費を借りたものの総数は、六年十二月現在六〇〇戸に達したと言われている。