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麦酒醸造所

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 五年北海道の事情を視察したトーマス・アンチセルは、七月二十九日付の報告でホップについて報告している。北海道に天然のホップが繁生しているのを見て「培養ノ〈ホップ〉モヨク繁茂ツカマツルヘク」として北海道での麦酒醸造をすすめた。開拓使は英米独にホップの種子を求め、これを栽培した。八年にドイツで麦酒醸造の技術を修めて帰った中川清兵衛を雇い、九年九月麦酒醸造所を札幌雁来通(北二東四)に設けた。ここではプロシヤ式製法に従って麦酒を醸造した。原料の大麦は、はじめ東京から送られたものを用いた。のち開拓使は、独米両国から輸入した大麦の種子を札幌官園及び札幌付近の農家に配布して生産させた。以後その大麦を原料とした。九年の醸造高は一〇〇石程であった。
 十二年三月、手宮埠頭の側の岩を屈曲して掘り、直射光線が当たらないようにし、麦酒、缶詰など移輸出品の一時的な保管場所をつくった。またドイツ醸造学士オコルセットに札幌醸造麦酒の品評を求めた。オコルセットは、品質は良好であるが、色合にまだ充分でない所があるとして、その改良法を中川氏に伝えた。
 六月作業費出納条例により、営業資本を八六三六円とし、定額金をもって支弁する財産価格六四八六円三銭七厘を興業費に充てた。さらに十一月醸造高を四〇〇石に増すこととして増築した。十三年十一月増築工事も竣工し、器具装置も備わった。十四年第二回内国勧業博覧会に出品して有功賞を得ている。従業員数は十年七人、十二年一二人であったが、十四年には一五人に増加した。
 開拓使製造の札幌麦酒は無税とされ、販売価格について十年九月十一日読売新聞には
 札幌製麦酒、左ノ定価ヲ以テ芝山内開拓使出張所仮博物場ニ於テ払下候条、此段広告候也。
   明治十年九月  開拓使勧業課
    大壜麦酒払下定価
  一、壱壜   代価 拾六銭
  一、壱ダース 代価 一円六十銭
  一、拾ダース 代価 拾五円弐拾銭
    小壜麦酒払下定価
  一、壱壜   代価 拾銭
  一、壱ダース 代価 壱円
  一、拾ダース 代価 九円五十銭
   但上野公園内中川嘉兵衛売店ニ於テモ売捌候事

と払下広告を行っている。十二、三年時の醸造収支は表11のようであった。
表-11 麦酒醸造所収支一覧
種目12年13年
醸造高石数169石825330石320
価格6793円28913216円062
興業費014448.216
営業費9231.05313630.364
収入9266.84513630.364
営業費と差引35.7920
00
償還興業費35.7920
営業費00
開拓使事業報告』(物産)より作成。

 麦酒容器の壜は輸入ものを使用したが、使用済のものも官員その他から大壜一本一銭、小壜一本一銭二厘で回収した。なお肥前焼陶器一〇万本の買付も行っているが、陶器壜では売れなかったようである(開拓使日誌)。