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札幌紡織所

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 開拓使は生糸、織物を移輸出産業の一つとしてその開発に力を入れた。札幌では四年から丘珠村蚕室を設け、翌五年四月には座繰糸若干を製造して横浜で販売し、その状況を試している。札幌の開発が進むにつれ、七年五月丘珠村蚕室を旧庁内の一室に移し養蚕所とした。そこで志願の婦女に養蚕を教えた。そして官製種紙一五枚を掃下し、繭四石六斗を得、官製種紙五六枚を一般に払い下げた。六月には本庁管内の少女三人を募って富岡製糸場に派遣して蚕事を習わせている。また十月には管内の婦女二五人を募って群馬県水沼村の星野長太郎製糸場に派遣している。
 なお七年五月、機織場空知通(北六条)回漕所内に設けた。住民より生繭を買い上げ奥羽移民を使用して座繰糸を製し、札幌織帛の原料とし東京で販売した。八年六月さらに物産局に蚕事係を設け、民間の養蚕を進めると共に八月製糸室、貯繭室、蒸繭室各一棟を雨竜通(東二丁目)に建て、木製一六人繰糸器械を装備した。そして生繭一〇六石余を買い上げ工女一二人を東京から募り、はじめて繰車を運転した。しかし車軸がしばしば折れたり繰湯が適温まで沸騰せず、糸繰は思うようにならなかった。そのため工女及び生繭九二石五斗を東京青山試験場に送り、道産繭を用いて繰糸技術を習得させようとした。一方、織工四人を群馬県から雇い機織技術を一般に授けた。
 九年三月篠津太に蚕室、属舎、物置各一棟を建てた。また六月雨竜通機織場製糸室、貯繭室、蒸繭室各一棟を増築した。そこに東京赤羽工作分局で製作した富岡製糸場模造の繰具二四座、六馬力蒸気機関及びイタリア製新型火汽二器、スイス製繰釜を装備した。工女二七人を青山試験場から移し繰業を開始した。翌十年三月第一回内国勧業博覧会に大幅博多織女帯地、縮緬絹鼻拭、敷物用アツシ織を出品した。七月雨竜通製糸場に六馬力タービン水車を据え付け、前年の木製繰糸器械に取り付けた。これを第二製糸室とし、水車・蒸気二カ所合わせて繰糸器六〇座を装備した。十月には空知通回漕所内の織室染室が壊れたので、新たに雨竜通の第二製糸室に接して織室染室各一棟を築いた。そこにイタリア製撚糸器械三台、付属器械七個を設置し、第二製糸器械に属する水車に連接して、在来の機具一〇個を運転した。また第二号織室を増築した。なお十一月製糸場、機織室をあわせて紡織場と改称し、勧業課所属としている。
 同年十二月第二号織室を、翌十一年十二月には第二製糸室を増築した。さらに翌年十二月第二製糸室を機織室所属とし、木製器械を廃し、織室を分割して絹織所、木綿織所、経緯舒巻所とした。絹織所に大幅織七台、小幅織一〇台、木綿織所に大幅織五台の織機を装備した。さらに十四年製糸器械を改良し、一座ごとに煮繭器を設置した。十二、三年における生繭買上一覧(表13)、繰糸織物の生産高(表14)及び作業費(表15)は諸表のとおりである。
表-13 札幌紡織所生繭買上一覧
繭買上表12年13年
数量代価数量代価
管内極上等11石862308円4235石990197円670
上等85.9972063.92638.9121167.360
中等87.0671915.47153.1931329.825
下等35.335636.03861.3251226.500
玉繭48.633437.69310.51494.626
屑繭0.0.9.67158.026
268.8945361.550179.6054074.007
管外各種27.7250.0.0.
合 計296.6195361.550179.6054074.007
開拓使事業報告』第2編(勧農)より作成。

表-14 札幌紡織所繰糸織物生産高
種 類12年13年
繰糸器械糸122貫915127貫009
座繰糸  6.09410.172
紬糸  9.249  4.017
熨斗糸54.87043.337
絹糸0. 0. 
木綿糸0. 0. 
手繰糸0. 0. 
合計193.128 184.535 
綿真綿21.03043.754
振綿23.17813.200
合計44.20856.954
開拓使事業報告』第2編(勧農)より作成。

種 類12年13年
織物絹布縮緬類25反37反
養老織00
紅梅織00
糸織160140
紬類68139
海気類3532
八丈縞00
七子織10
白精好20
綾織類819
琥珀1210
26反/558個83反/855個
綿布小倉雲齋類272348
8/230/69
合  計617/581808/924

表-15 札幌紡織所作業費
種目12年13年
興業費0円19980円667
営業費21192.07418479.228
収入17699.24515021.248
営業費差引-3492.829-3457.980
興業・営業費へ償還0.0.
欠額補塡3492.8293457.980
開拓使事業報告』第2編(勧農)より作成。

 札幌紡織所は廃使後、農商務省の札幌紡織場となり、十六年同省北海道事業管理局管轄下におかれ、養蚕・製糸等の事業は続けられ、十六年原料不足のため一時蒸気器械の運転を中止し座繰器械に替えた。十八年八月頃より繭の産額が増加したため旧に復した。生糸は主として海外に輸出し、中品以下は絹綿交織、紬織、太織の原料とした。なお学生、巡査の被服用小倉、雲斉織、木綿織をも製した。しかし事業は年々欠損を続けていた。