図-2 諸村の変遷図
山鼻村は八年に五人の農民が自移したというが、本格的に開けていくのは九年五月の屯田兵の入植以降である。
『移民履歴調』では触れられていないが、山鼻村の移住の最初は、四年に伏見に移住した佐藤三郎右衛門、三蔵の父子である。両人は山形県西田川郡鶴岡町(現鶴岡市)出身で、三蔵は三年に円山へ移住した山形移民に従い来札し、四年に伏見に地所を得、家族を呼び寄せた。この時、東田川郡十六合村(いざあいむら)の加藤多右衛門、八栄里村(やえざとむら)(ともに現余目町)の檜山石蔵がともに移住した。これ以降、同郷人や一族の系累などが後を追って移住し、特に九年には一一戸も移住している。
伏見はこのようにして形成されたので、集落としてもまとまりをもつ〝模範村〟とされた。なお、伏見の移住の動向と部落の形成は、『伏見史稿』に詳細である。