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人身売買の実態

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 札幌における公娼制度はこのように確立していった。北海道の場合、松前・函館・江差の旧和人地の三湊を除いては近代に入ってからほぼ同様な経緯をたどって確立した。それゆえに、その動きは日本全体のそれと逆行する様相さえ持っていた。表16は、札幌における明治初年から三十二年にいたる間の貸座敷、芸妓、娼妓数を示したものである。統計資料が欠落しているため飛び飛びではあるが、貸座敷数、娼妓数にしても増加の一途をたどっているのが知られる。ここにあらわれた数字は、開拓使札幌本府建設と同時に押し進めた遊廓地の決定、そして公娼制度のスタートの結果である。以後札幌における公娼制度は、昭和三十三年(一九五八)の売春防止法の実施まで長年にわたり存続することとなる。
表-16 札幌薄野遊廓における貸座敷・芸妓・娼妓数
貸座敷数芸妓娼妓典拠文献
明治628戸芸娼300人市民商業惣高取調、北海紀行
151594人明治15年 札幌県統計概表
161779明治16年 札幌県統計概表
211546人123明治21年 札幌区役所統計概表
2216136明治22年 札幌区役所統計概表
241622137札幌繁昌記
2526196札幌小樽細見誌
263062205北海道毎日新聞
304098307北海道庁統計書
323977297札幌案内