この状況下で新しい農業改良、農政の旗手の一人であり、特に米作の権威で当時農商務省農務局第一課長の要職にあった酒勾常明が、北垣道庁長官の要請をうけて二十五年末道庁財務(部)長に就任して以来、道庁は積極的な稲作奨励にのりだした。
このためまず二十六年四月、上白石村(新田八一〇坪、旧田五五〇坪)、同年十一月、真駒内(北海道庁種畜場内、一町八反歩)および亀田に稲作試験場を設置した。上白石には京都府下の老農足立卯八を、また真駒内には水田土工に堪能な京都府下の新田師儀賀重右衛門を雇い、試験施行の端緒とした。三試験場の中心である上白石試験場は、直播の有利性の確認、農民によって移入されていた「赤毛」などの品種の優秀性を実証した。
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写真-12 上白石農事試作場 門柱に参観随意の札が見える (明治34年、農林水産省北海道農業試験場蔵) |
また、二十七年からは札幌農学校でも水稲の試作が行われた。この年春に亀田郡役所あてに「南部早稲」、「三化早稲」、「チカナリ」、「地米」、「仙北早稲」の種子各一升の送付を依頼しており、五反歩の水田によって籾一八石余の収穫を得、その後も教授南鷹次郎を中心に各種稲作の試験・研究が行われた。
水稲のほかでも、道庁はたとえば当時の主要作物である甜菜はドイツ品種を「札幌近村」で栽培させ、亜麻についても同様の試作を行わせたが、その成果もふまえ二十三年には輸入した種子を製麻・製糖会社を通じて配付するなど、各種作物の嘱託試験、優良種子の配付などを行った。
さらに畜産についても、道庁により十九年中に「種豚貸与規則」、「牛馬貸与規則」がそれぞれ制定されたが、その貸与状況を二十四年を例にとれば、札幌区・郡に対して牝牛六頭、牡牛一頭、牝馬二頭、牝豚九頭、牡豚五頭となっており、これを通じて品種の改良がはかられた。さらに一部農具等の貸下も行われた。