まず、官園として成立した札幌育種場(二九万三六四〇坪)は、二十年一月に札幌農学校に所属替となり、飼育中の豚は真駒内に移した。畜産については、七重等のかなりの部分は民間払下げとなり、真駒内牧牛場がその中心をなすこととなり、十九年七月に真駒内種畜場と改称し、事業内容も牛にとどまらず各種家畜の改良・繁殖を行うこととなり、さらに二十六年三月に北海道庁種畜場と改称された。また二十一年には札幌牧羊場が廃され、飼養中の羊を真駒内種畜場に移した。札幌育種場の豚を含めた官営牧場の家畜数を示すと表16のとおりである。このほか二十一年に札幌区北五条西七丁目に設置された養鶏場は翌二十二年七月に廃止され、鶏などを真駒内ほかへ移した。
表-16 官営牧場家畜数(明治19~28年) |
札幌育種場 | 札幌牧羊場 | 北海道庁種畜場 | ||||||||||
豚 | 羊 | 牛 | 馬 | 豚 | 羊 | |||||||
牝 牡 | 計 | 牝 牡 | 計 | 牝 牡 | 計 | 牝 牡 | 計 | 牝 牡 | 計 | 牝 牡 | 計 | |
明治19年 | 25 15 | 40 | 165 26 | 191 | 72 19 | 91 | 7 5 | 12 | 28 7 | 35 | ||
20 | 廃止 | 134 35 | 169 | 133 25 | 158 | 29 21 | 50 | 79 43 | 122 | |||
21 | 5月廃止 | 47 14 | 61 | 57 14 | 71 | 69 26 | 95 | 93 27 | 120 | |||
22 | 21 21 | 42 | 53 30 | 83 | 35 16 | 51 | 44 6 | 50 | ||||
23 | 25 10 | 35 | 55 22 | 77 | 25 6 | 31 | 48 18 | 66 | ||||
24 | 30 19 | 49 | 57 28 | 85 | 36 11 | 47 | 58 23 | 81 | ||||
25 | 36 21 | 57 | 65 29 | 94 | 27 11 | 38 | 59 43 | 102 | ||||
26 | 42 33 | 75 | 67 30 | 97 | 22 10 | 32 | 61 34 | 95 | ||||
27 | 34 22 | 56 | 66 31 | 97 | 17 14 | 31 | 75 52 | 127 | ||||
28 | 43 26 | 69 | 78 32 | 110 | 13 13 | 26 | 90 44 | 134 |
『北海道庁統計綜覧』より作成。 |
また米作については、前述のように二十六年四月に上白石稲作試験場が設立、同年十一月に真駒内稲作試験場が設置されたが、三十一年に上白石農業試作場、同真駒内分場と改められ、稲作以外の作物の試験も行うこととなった。さらに泥炭地試験については前述のとおりである。この他札幌県の時代に設置された円山養樹園は、二十三年に御料地に編入された。
道庁関係のほか、農業に関する試験および普及を行った施設として、札幌農学校の農場があげられる。同農場は農学校付属の農黌園として農学校の試作・試験場としての機能および模範農場としての役割を果たした。道庁設置以後規模の縮小、あるいは二十三年会計法の新たな実施による農学校同窓会による経営など危機的な状況を経たのち、二十八年再び農学校の農場となり、二十九年には第八農場(富良野村)までが設置された。とくに札幌育種場の交付によった第一農場を学生生徒の実習と各種の試験場とし、第二農場は直営農場、第三~八農場は小作農場となった。また二十年には西欧の農法を教え、北海道で実際に農業に従事する者の養成を目的として、同農場内に修業年限二年の農芸伝習科を設置した。同科は二十五年までを例にあげると一一四人の卒業生を出したが、その大半は道内で農業に従事し、設置の目的を達した。さらに二十二年四月、道庁の依頼によってこの年同科を卒業した者のうち十数名を獣医伝習生として六カ月間の期間で養成を行った。このほか、二十七年からは同科に冬期間四カ月で簡易な農学を教授する冬期講習生の制度も定められ、実施された。