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乳牛の増加と搾乳業

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 牛は、もともと肉牛ないし役・肉兼用牛が一般的であったが、二十年ころをさかいに官民を問わずさかんに乳牛が移・輸入されはじめ、その比重も次第に高まった。搾乳業も、十九年には札幌で岩淵利助、ついで長谷川正司寺口房五郎が開業、二十四年には前述のように宇都宮仙太郎も開業し、牛乳販売を手がけるようになった。このため搾乳業者間の販売価格の値下げ競争がおこり、二十五年には札幌牛乳搾取業組合を設立し、一合二銭と販売価格の協定を結んだ。また同組合では牛の飼料用として札幌麦酒会社と契約を結び、ビール粕の一括払下を受けるにいたっている。
 乳用牛の数は、牛乳飲用の習慣化と併行して次第に増加し、二十九年には札幌区札幌郡の官民合わせて二七三頭、その後多少減少して三十二年には一四六頭であった(表20)。搾乳量も札幌警察署管内(札幌区札幌郡のほか石狩、浜益厚田三郡と千歳郡を含む)の場合ではあるが三十一年六月一カ月の場合、搾乳頭数七三頭、四八石九斗一升であり、また翌三十二年三月一カ月の場合、一一三頭、五〇石二斗九升三合であった(北海道毎日新聞)。
表-20 官・民札幌区札幌郡の乳用牛の割合(明治29~32年)
牛 数内乳用牛乳用牛割合
明治29年655頭273頭42%
3051425049
3159219833
3259714624
明治29,30年については『北海道庁統計書』,31,32年は『北海道庁拓殖年報』より作成。

 札幌は当時このように函館と並んで搾乳業の先駆的役割を担っていたようである。