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説教所の設立

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 以上二つの寺院のうち、龍雲寺は開村者で石狩役所在勤の調役であった荒井金助長男の未亡人の寄付によって直接寺院が設立されたが、一般には長専寺のようにまず説教所(同寺は二十四年)設置から始まる場合が多かった。史料の制約もあってすべてを記述できないが、そのいくつかの成立事情について考えてみたい。
 まず、基幹的寺院等の主導によって、おそらく寺院に引直しの予定をもたずに説教所として設立されたもので、真宗大谷派の説教場がその例である。すなわち、別院一カ所では支障を来すため、同院では二十一年に三条説教場、三十一年に北九条説教場と、別院付属説教所を設立したが、この場合は、将来寺院とする含みはなかったようで、この時期設置されたものも含めてすべてのちに支院となった。
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写真-4 大谷派札幌別院の説教場設計斜面図(寺院説教場関係 東本願寺札幌別院)

 これ以外の大半は寺院設立の第一段階として設置されたもので、今のところすべて確実に捉えられないが、一応次に列記する。二十二年(真宗本願寺派、区内)、二十三年(浄土宗西山派、平岸村―のち順正寺)、二十四年(真宗本願寺派、丘珠村―のち高恩寺)、二十五年(日蓮宗、経王寺教会所、新琴似兵村―のち光明寺)、二十八年(真宗大谷派、上白石村)、二十九年(真宗本願寺派、区内)、三十年(浄土宗西山派、区内)、三十一年(日蓮宗妙満寺派出説教所、白石村)。このほか『北海道毎日新聞』などで設置出願の記事の中で、許可の確認ができないものが数カ所ある。