こうして設立された寺院等では、種々の年中行事、臨時的な行事、それに説教等が行われ、人びとに心の安らぎを与えた。年中行事の中でも、節分会、春秋の彼岸会、盂蘭盆会など各宗派に共通するもののほか、それぞれの宗派毎に多くの行事が行われた。ここでは主として『北海道毎日新聞』により、特に住民との関わりの深いものについて略述する。
非常なにぎわいをみせたのは成田山と一般によばれた新栄寺の縁日であろう。寺号公称以前の、明治二十一年五月から市場の開設を許され、毎月二十七・二十八の両日の賽日(縁日)には小間物、植木、古道具、飲食物等の露店が多く出、子供手踊、素人角力、あるいは煙火を上げる時もあり、護摩修行も行われて御利益を得ようとする信者でにぎわった。また二十七年まで盆踊りはここの境内で行われ、これも連夜の大にぎわいであった。
新善光寺で注目されるのは、二十一年春、藻岩山に設置した西国三十三番の石像観世音(三十三観音)関係である。二十四年を例にあげると、五月二十四日午前七時に同寺を出立、翌二十五日には月並御講に観音講を儀修し、説教も行われた。なおこの三十三観音設置について、『伏見史稿』によれば、岩村道庁長官が藻岩山登山道改良方策として大谷新善光寺住職の案を容れ一〇〇円を基金として寄付し、大谷は他にも寄付を募ってこれを作ったという。また九月には太子祭(聖徳太子の大法会)を行い、藻岩山三十三観音の巡拝を行ったが、太子信仰は職人の職能祖神信仰で、札幌にも太子講が結成されている。
中央寺で著名なのは、鎮守堂にまつられた金毘羅・秋葉の両権現、豊川稲荷の祭で、手踊、活花、狂言などもなされ、二十九年には門前にアーク燈が取付けられにぎわいを増した。
また、経王寺では同寺に安置の妙見菩薩の例祭を行っており、札幌村の妙見堂でも、前編に記したようにむしろ産土祭的な意味をもった例祭が行われている。
真宗大谷・本願寺派別院では報恩講などが盛大に行われ、また二十七年一月四日には祖師見真大師(親鸞上人)の六二三回忌法会が営まれるなど、各寺院の多様な行事によって住民の信仰生活を充実させていった。