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人口増加と物価高

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 十九年、札幌・根室・函館の三県が廃止され、北海道庁が設置された。以後の札幌は、全道を統括する道庁所在地として機能してゆくこととなる。
 道庁設置時の札幌区(市街)の人口は、四六一二戸、一万四九三五人であった。札幌の一七の村の人口(この場合、十九年は不明なので二十年)の三二五九戸、一万五八八三人(北海道戸口表)を合わせると、市街と村を合わせて約三万人余であったといえる。
 これ以後の札幌区の人口は、表1のように増加の一途をたどり、二十三年にははじめて二万人を突破、日清戦争後の二十九年には三万人台に突入し、まもなく三年後の三十二年には四万人を突破するというすさまじいまでの膨張ぶりを示した。これは、十九年の人口を一〇〇とした場合、三十二年のそれは二七〇に相当する値である。このような人口の爆発的ともいえる膨張の背景には、二十年の北海道製麻会社の創立および二十二年着業にともなう職工数の増加に代表されるような諸会社工場の経営開始、さらに日清戦争後の事業拡張にともなう従業員数の増加、二十九年の第七師団設置にともなう人口増加等々が原因していた。もちろん、以前から引き続いて道外からの移民もいた。したがって、当時の札幌は急激な人口の膨張に住宅建設が追いつかないといった状況であった(後述)。
表-1 札幌区内戸口表(明治19~32年)
戸数人数
明治194,612戸14,935人
204,12613,534
215,06014,093
223,97816,876
236,67924,327
245,74625,634
255,03926,022
265,15127,694
275,18628,151
284,81227,867
295,58933,710
306,20035,306
316,56737,467
327,00940,578
北海道戸口表』(北大図)より作成。

 これら札幌に人口増加をもたらしたところの来住者を出身地別にみてみるとどうであったろうか。表2は、二十八年一月から六月までの札幌区来住者を出身府県別に示したものである。来住者二七三戸、七三二人の内訳をみるに、三七府県中新潟、石川、富山、青森、岩手、東京の府県が一位から六位までをしめている。これは、明治初年の移民や出稼人の送り出し先とほぼ一致するとみてよいだろう。
表-2 札幌区来住者出身府県別数(明治28年1~6月)
府県名戸数人員府県名戸数人員
新潟64戸122人福岡県1戸7人
石川県2795島根県27
富山県2781群馬県27
青森県2961熊本県46
岩手県1349愛知県26
東京府847山口県25
鳥取県728佐賀県25
福井県1026岡山県14
山形県824山梨県14
長野県719大阪府24
宮城県1017茨城県13
鹿児島県417兵庫県13
広島県716和歌山県12
秋田県714福島県22
千葉県410京都府12
岐阜県29徳島県11
三重県49神奈川県11
愛媛県39香川県11
滋賀県49273732
北海道毎日新聞』明治28年8月9日付より作成。

 このような人口膨張を続ける札幌区は、明治初年同様に「札幌相場」といって本州からの移入に頼る品目については常に不安定な価格を強いられたし、道産物についても需要と供給のアンバランスから物価高騰を招くことが多かった。表3に示したのは、十九年から二十一年までの三カ年間の諸物価の平均価格と三十一年の場合とを比較したものである。一〇年間に価格が二倍から五倍にはね上がっているのが知られるだろう。二十四年の『北海道毎日新聞』では、札幌の物価が日用品を除き概して高い理由として、①交通不便なこと、②運賃が高いこと、③商人が利益を貪ることの三点をあげている。
表-3 札幌区物価比較表(明治19~21・31年)
品  目明治19~21年明治31年
平均物価平均物価
 玄米    1石   5円91銭 9厘 14円12銭 5厘
 塩       1石   2円51銭 2厘   3円75銭
 味噌    1貫目        14銭 7厘       25銭 4厘
 醬油    1石 11円66銭 7厘 21円45銭 2厘
 沢庵漬 4斗樽   1円16銭 7厘-
 梅干    4斗樽   1円59銭-
 大麦    1石   2円65銭 10円20銭
 小麦    1石   4円30銭  9円57銭5厘
 裸麦    1石   2円99銭 3厘  8円37銭 5厘
 秣       1貫目         2銭 7厘-
 薪       1貫目         1銭 9厘         1銭 5厘
 炭       1貫目         1銭 9厘         3銭
 石炭    1噸   3円46銭 2厘   6円50銭
 藁       1貫目         4銭 3厘-
北海道毎日新聞』より作成。

 札幌の物価をかくも押しあげたのには、日清戦争後の好景気に支えられて諸会社工場の事業拡張、さらには二十九年の月寒村の第七師団の兵営建設等も影響していた。二十九年には札幌区の生活必需品が軒並はね上がった。例えば、薪炭、豆腐、野菜、牛肉、米価、牛乳、蕎麦粉、醤油、石材、呉服太物、小麦粉、うどん等々であった。それに家屋の払底から家賃、職工賃、髪結賃、飲食代にまで及んだから札幌区の人びとはたまったものではなかった。これらのうちには、明らかに月寒の兵営建設を見越して値上げされたものもあった。二十九年五月頃、第七師団設置および上川鉄道その他の事業勃興の影響を受け、早くも札幌区の地価が三割から五割ぐらい値上がりしはじめた。これに従って貸家賃も二、三割も値上がる始末であった(後述)。
 このほか札幌区が本州に比較して価格が高いと目されたのに理髪料があった。十八年札幌農学校予科に入学するため群馬県から札幌入りした星野和太郎(札幌養蚕場払下人星野長太郎甥。『北海道蚕業沿革略』の著者)は、郷里へ送った書簡にそのことを認(したた)めている(星野家文書)。この問題は、二十年代の新聞でも取上げられた。