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帝国憲法発布式

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 明治二十二年二月十一日の帝国憲法発布式は、札幌市民に国家の存在と国家を統治する天皇の存在を知らしめる絶好の機会であった。二月十一日の当日札幌では、帝国憲法発布式官民祝賀大宴会が南一条西三丁目旧道庁内で行われた。門前を緑の大きなアーチで飾り、一丈余の国旗を交差させ、門の右方には「憲法発布官民祝賀会」の大きな看板を立て、門内にも高さ数丈の竿頭に球灯を五筋に分けて掛け渡してあった。当日の式の模様はまず、君が代(創成小附属幼稚園児童)、憲法発布の祝辞(幹事総代阿由葉宗三郎)、日本皇帝万歳大日本国万歳(来会者一同)、唱歌・風琴(女生徒)、電報朗読、食事の順で行われた。この日来会者は入場券携帯の者七七八人、その他幼稚園児童等合わせて一一一〇余人にのぼった。
 祝賀会は、札幌基督教徒有志、札幌農学校北海道毎日新聞社等においても行われ、同新聞社では「御真影」を掲げ、国旗を交差させ、鏡餠を飾って樽酒を通行人に振るまい、号外を配った。一般市民へは、当日国旗、球灯もしくは軒提灯、そのほかできる限り祝賀を表するようにと札幌市街組頭を通じて官より内達があった。それとともに、憲法発布を記念して八〇歳以上の老人には金員が下付されることとなり、三月二十二日札幌区内では二七人が町会所へ呼び集められた。この時白石村の平塚タワは、感涙にむせび、和歌一首を詠んだという。
 このように、東洋においてはじめて憲法を制定した日本では、発布の祝賀式を二月十一日の紀元節に合わせて行い、札幌でも多くの人びとが動員され、しかも憲法が何たるものか知らないままに参加していった。翌年の憲法発布一周年紀念会は公的行事として豊平館で盛大に行われる一方、各職場を通じても行われている。