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「昨今の如き教勢は」

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 札幌市制施行から満州事変前後まで、札幌市内のキリスト教会は順調な成長を遂げ市民へ浸透した。各教会とも活動の中心は、毎日曜日(セブンスデー・アドベンチスト教会では土曜日)の定例の礼拝・ミサ・奉神礼(ハリストス正教会)であったが、プロテスタント教会の水曜日の祈禱会など、週の間にも各種の集会を行っていた。これら日常の集会は、牧師・司祭などの教職者によって指導されていたが、壮年会・婦人会・青年会あるいは共励会など世代別の信徒の組織があり、教会の活動を担っていた。幼少の世代のためには、日曜学校が開設され教会教育に当たっていた。カトリックでは幼少時の洗礼受領者(受洗者)には、「公教要理」による訓練をほどこし、それを経て初聖体(聖餐のパンを初めて受けること)を許した。キリストの誕生を祝うクリスマス、復活を祝うイースター(復活祭)は特に重視され、市民の目にも触れる行事であった。
 札幌天主公教会(カトリック札幌北一条教会)が昭和二年(一九二七)に始めた同胞会の無料治療所などに見られる、医療・福祉事業や災害時の募金活動は、市民との接点を広げるものとなった。ミッションスクールと呼ばれたキリスト教主義学校(北星女学校、藤高等女学校など)も、若い世代がキリスト教にふれる機会を豊富にした。この時期のはじめ、札幌ではキリスト教が市民にとって馴染みの深い存在であった。『北海タイムス』が昭和三年九月に一二回にわたって「教会巡り」を連載し、古くからの教会を紹介したのも、幅広い市民の関心を示すものであった。そこでは、半世紀にわたる独立の精神を具現した独立教会、「異国の空に励む伝道」としてカトリックの札幌教区長館のある北十一条教会と三修道院、盛んな伝道で市民各層の人材が豊富となったメソヂスト教会、大会堂を新築し日曜学校に力を注ぐ日本基督教会、実業家が多く経済的にも堅固な力を持った組合教会、カトリックとプロテスタントの中間をゆく聖公会というふうに紹介された。古くからの教会では、札幌天主公教会とハリストス正教会は洩れているが、札幌に深く根ざした諸教会の活動が紹介されている。格別に目を惹く教会の社会活動や伝道集会、クリスマス行事ばかりでなく、個々の教会の事情が新聞の連載記事となっていた。
 もっとも、実際の教会はこの新聞記事以上に多様な広がりを見せていた。大正十二年から昭和六年までの約一〇年間には、次のように新たな拠点の拡大が見られた。まず日本基督教会は大正十二年、桑園に幼稚園と伝道所を、十五年には山鼻に南講義所を開設した。同年、組合教会は鉄北地区に北部講義所(北部教会)を開設した。十四年、無教会の浅見仙作札幌に生活の拠点を移し、浴場経営のかたわら伝道に携わった。この年メソヂスト教会山鼻講義所を新築し、琴似ではこの頃同派の小樽教会員土屋捨吉が鉄工場内に自費で伝道所を設けていた。翌十五年の日本メソヂスト教会の年会(総会)では、札幌メソヂスト教会の状況として、「昨今の如き教勢の振興せるを見たことはありません」という、創立期からの信徒である佐藤昌介の言葉を引いて報告がなされている。しかしこの時期にみる札幌の諸教会の伸展は、ひとりメソヂスト教会だけのことではなかった。昭和二年、セブンスデー・アドベンチスト教会(第七日安息日基督再臨教会)は札幌に教会を組織設立し、救世軍は北海道聯隊本部を開設した。三年には山鼻に聖公会が拠点を持ち、ハリストス正教会は聖堂建築の計画を樹て具体的な準備に入った。さらに五年、カトリックでは山鼻天主公教会が設立された。
 そのようななかで、プロテスタント諸教派の連合組織である日本基督教聯盟などの起こした「神の国運動」が、札幌にも及んだ。神の国運動は、「祈れよ、捧げよ、働けよ」を標語として昭和五年から九年にかけて行われた、戦前最大規模の組織的伝道活動であって、これまで教会の支持層であった都市中間層のみならず、労働者・農民への浸透をめざした。一九二〇年代に蓄積されたデモクラシーへの関心、クリスチャンによる社会運動が背景となって、個人の魂の救済を主眼としたこれまでの伝道から、社会解放による救済をめざしたところに時代の特色があった。運動を組織したのは日本基督教聯盟であるが、運動を主導したのはキリスト教社会運動家で牧師の賀川豊彦であった。
 札幌での神の国運動は、昭和六年五月に賀川豊彦を迎えて行われた。八日の婦人大会には四六〇余人を集め、八、九両日の札幌公会堂での集会は、二夜で合計四六四〇人、前後五回にわたる集会での「志道者」四八九人を記録し、大盛況であったと総括された。この成功の後を受け、六月八日から十三日まで、今井記念館で市内の牧師を講師とした「基督教根本思想講演会」が開催され、平均三三〇人の出席があった。前後して各教会でも単独の伝道集会が持たれた。同月の組合教会の「札幌集中伝道」集会には五日間で延べ三八〇二人の来会者があり、九月の日本基督教会の特別伝道集会も三日間で来会者一四八九人と記録された。このような活発な伝道活動の結果といえようか、昭和七年末、札幌市内の諸教会が北海道庁に届出た信徒数は、日本基督教会の一一七五人を筆頭に、プロテスタントの一一教会で三四七五人、カトリックの三教会が一一八五人、ハリストス正教会(札幌顕栄会堂)三五〇人、合計五〇一〇人を数えており(札幌市役所 社寺関係書類 昭8)、一七万札幌市民の二・八パーセントに当たっていた。