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大政翼賛会

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 国家総動員法下にあって、首相は平沼騏一郎阿部信行米内光政と短期間に入れ替り、この間にノモンハンの敗北、経済政策の破綻、対中国和平工作の失敗など内外政策の混迷が続いた。五・一五事件で政友会内閣が倒れて以降、政党が直接に政権を担当することはなく、各党派とも政治的立場の強化策を模索し続けた。政友・民政両党の合同、社会大衆党東方会等左右両派の糾合、ドイツを模倣した挙国一党運動、産業組合を母体とする新組織案などが生まれては消えていった。そうした中で軍部や革新官僚への接近の是非が政党再編成の鍵となり、昭和十五年(一九四〇)二月の衆議院における、民政党斎藤隆夫代議士による反軍演説は、日本的一国一党体制への方向づけをもたらした。
 六月になって近衛文麿が強力な政治体制確立の構想を発表すると、軍部はもちろん政党の中からもこれを支持する者が多く、既成政党を解消し、一大強力新党結成へと動き、七月に入ると各党派は次々と解党し、最後まで従来の立場を堅持しようとした民政党主流も、ついに八月十五日解党し、ここに憲政史上奇異な無政党時代が出現した。
 第二次近衛内閣は「一君万民の精神に基く万民輔翼」の新体制実現をめざし、政治的実践力を持った国民運動組織として、大政翼賛会を十月十二日に発足させた。しかし、軍部、右翼、経済界、さらに旧政党人からの反発が強く、近衛の政策がブレーンであった革新官僚を遠ざけ、翼賛会人事を更迭し、「上意下達・下意上通」のスローガンさえ「上意下達・下情上通を図り」と改め、会を大政翼賛運動の助成推進機関と位置付け再出発したのである(大政翼賛会実践要綱の基本解説 昭16・9)。
 大政翼賛会総裁に近衛が就任、全国道府県、郡(支庁)、市町村、六大都市の区に支部が置かれ、道庁長官戸塚九一郎を主宰者とする北海道支部は、十六年一月十日発会式を行った。翌十一日札幌市常会(後述)において、札幌支部結成と規約案が三沢市長より示され、満場一致でこれを可決して札幌支部が発足、札幌市においてもいよいよ翼賛運動が広まることになる。
   大政翼賛会札幌市支部規則
第一条当支部は大政翼賛会札幌支部と称す
第二条当支部の事務所を札幌市役所内に置く
第三条当支部の支部長は総裁の指名に依り 札幌市長 これに当る
第四条当支部の理事は十名とし支部長これを推薦し総裁の指名に依りて就任す
第五条当支部に顧問若干名を置くことを得、顧問は支部長これを推薦し総裁の指名又は委嘱に依りて就任す
第六条当支部に書記若干名を置き支部長これを任免す
第七条支部長は事務を統理し理事会を招集してこれを主宰す支部長事故あるときは市助役たる理事これを代理す
第八条理事は支部長に協力して会務の執行に当り且つ重要事項を審議す
第九条顧問は支部長の諮問に応じ且つ理事会に出席して意見を述ぶることを得
第十条書記は庶務に従事す
第十一条 理事及顧問の任期は一年とす但し再任を妨げず
第十二条 理事及書記は有給となし若くは手当を給することあるべし
第十三条 当支部の協力会議は本市常会を以てこれに充つ本市常会委員にして当支部理事を兼ぬる者は協力会議には理事として出席するものとす
第十四条 当支部の費用は本部の補助金その他の収入を以てこれを支弁す会計経理については理事会の定むる所による

 事務所は市役所内に置かれ、三沢市長が支部長に指名され、理事は伊沢広曹(市助役)、平佐武美(市庶務課長)、杉田安次郎(市経済課長)、小谷義雄(商工業組合協会長)、三浦才三(市議)、佐藤一雄(同)、秋山康之助(秋山薬局店主)、前田潔(北海タイムス社整理部長)、中山五平(道鉄工組合聯合会専務理事)、石上寿夫(商業青年会理事長)の一〇人が決定し、業務の推進にあたった。発足の経緯からわかるように、内実は常会とその基礎単位である公区に立脚する団体で、しかも市政執行と不可分の関係にあり、国策の浸透(上意下達)徹底にあたろうとするものにほかならない。