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軍用施設

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 これら軍事機関には機構、人事(兵員)、施設、設備(飛行機、車輌、兵器等)が一体的に組織されているはずだが、史料上の制約で各機関ごとに明らかにできないので、ここでは札幌所在の施設についてわかる分を表31にまとめた。北部軍管区司令部が調査した『軍事施設北海道地区敷地面積一覧表 及樺太地区施設標示図』(防衛庁防衛研究所蔵)によって、機関ごとに集約したものである。前述の札幌駐在兵員機関一覧と比較しても札幌にあるすべてを網羅しているとは考えられない。市有民有施設などを借り上げて使用している分は対象外であろうし、後述の航空隊関連のものも収録されていない。軍管区司令部の調査であるから二十年一月以降のことになる。
表-31 軍用施設一覧
機関名
(所在地)
施設名敷地面積
   m2
建物摘要
面積m2構造程度
北海道陸軍兵器補給廠
   (白石村)
事務所13,470936木造平家
工場1,815
倉庫2,418
自動車庫114
その他1,206
 同 官舎
   (白石村字白石)
官舎24,9482,247水道電灯設備 18棟
その他804
 同 厚別倉庫
   (白石村字厚別)
倉庫350,0703,240
その他357
 同 厚別官舎
   (白石村字厚別)
官舎3,210402水道電灯設備
その他45
陸軍被服本廠札幌支廠
   (札幌市北11西12)
工場56,766870
倉庫693
その他757
陸軍糧秣本廠札幌支廠
   (札幌市雁来町)
事務所142,836636
工場1,098
倉庫9,888
自動車庫252
その他2,979
 同 官舎
   (札幌市雁来町)
官舎5,406963水道電灯完備 9棟
その他57
歩兵第125聯隊練兵場
   (豊平町大字月寒村)
その他207,63945
月寒陸軍官舎
   (豊平町大字月寒村)
官舎14,478煉瓦造2階建水道電灯完備
99,767木造平家114棟
その他840
厚別演習場
   (豊平町)
その他6
札幌陸軍病院官舎
   (豊平町)
官舎10,698729水道電灯完備 9棟
その他635
札幌憲兵分隊官舎
   (札幌市北1東1)
官舎1,455282水道電気完備 5棟
その他24
札幌聯隊区司令部官舎(1)住宅5,775.23971.90水道電灯排水施設あり 9棟
雑屋42.9711棟
 同        (2)住宅3,305.80697.52水道電灯排水施設あり 7棟
雑屋29.757棟
 同        (3)住宅4,244.64555.37水道電灯排水施設あり 6棟
雑屋26.448棟
北部軍管区司令部『軍事施設北海道地区敷地面積一覧表 及樺太地区施設標示図』(防衛庁防衛研究所蔵)より作成。

 太平洋戦争が始まってのちに建設された特異な施設として札幌新飛行場がある。現在丘珠飛行場と通称されているが、建設時から今日まで様々な問題を投げかけ、また将来にわたる課題を抱えているので、その概要についてここでふれておきたい。札幌には大正期から北区北二四条に民間飛行場があり、それを拡張整備して昭和八年に国営飛行場としたが、太平洋戦争が始まるともっぱらこれを軍用に使用し、さらに大規模な拡張整備が計画されていたにもかかわらず、何故さほど離れていない場所に新しい飛行場を建設しなければならなかったのか明らかになっていない。単なる陸軍と海軍の違いにすぎないのだろうか。

図-5 札幌新飛行場略図 第1航空軍司令部『飛行場記録』(防衛庁防衛研究所蔵)による。

 新飛行場と関連施設の用地になったのは札幌村の元村地区北部から丘珠、烈々布、そして篠路村にまたがる約二六〇町歩の民間農地である。ここは伏籠川左岸の肥沃な沖積土で、玉葱の特産地として知られる生産力の高い農業地域であったから、用地買収、立ち退きにともない多くの悲劇が生じた。用地買収は昭和十七年四月から開始されたが、この時点ですでに計画が決まっており、まもなく測量に取りかかり突貫工事に入った。工事には札幌公区ごとに市民の勤労動員を割当て、学生生徒も毎日動員されたが、請負業者は朝鮮からの強制労働者や日本人タコ部屋労働者を使い、苗穂刑務所の囚人も出役して過酷な労働条件のもとで工事をすすめ、一年後には一二〇〇メートルの滑走路ができ、未完の施設が多かったものの、七月十八日使用開始を祝って少年航空兵郷土訪問飛行大会が行われた。
 付属工事は敗戦まで続けられたが、用地買収の対象になった農家は六八戸におよび、そのうち四三戸が立ち退きとなった。周囲に未開地はなかったので、立ち退き農家は転出先を求めるのに苦労し、やっと見つけた狭い土地であっても、買収費に自己資金を上積みしなければ新しい土地を購入できなかった。それが公定価格より高く買ったとして物価統制令違反で一斉検挙され、裁判で有罪罰金の支払を命じられた。有罪になっても代替地を手に入れた農家はまだよかった。生活費や転業資金にと買収金を手元に貯えておいた人は、その後すぐに襲ったインフレーションで貨幣価値が急落し、たちまち生活苦におちいったのである。
 この飛行場は「札幌新飛行場」と名付けられ、北二四条に古くからあったのを「札幌旧飛行場」と呼ぶことになった。あるいは第一、第二と付して呼ばれることもある。ここに駐屯することになった部隊が前述札幌の兵団部隊に含まれる第二一航空基地司令部以下であろうが、旧飛行場との分担は不明である。最初に移駐してきたのは飛行六三戦隊で、ニューギニアに出陣のあと第五四戦隊(第一飛行師団第二〇飛行団)が入った。敗戦時の保有機は表32であるが、新旧両飛行場分を合わせた数かもしれない。この中には江別の製紙工場で作られた木製化飛行機も含まれているらしい。
表-32 敗戦時札幌における航空部隊の保有機
機種性能機数
重爆撃機
 Heavy bomber
不良(bad)1
単発戦闘機
 Fighting plane(one engine)
良(good)20
不良26
双発戦闘機
 Fighting plane(two engines)
不良4
偵察機
 Scout plane
不良2
攻撃機
 Attacking plane
不良1
練習機
 Training plane
8
不良11
73
“The table which gives full information concerning the number,the type,the seats, and the conditions of military aircraft”
『田囗英男資料』(防衛庁防衛研究所蔵)より作成。

 「今次戦争の勝敗は懸って航空戦力の強弱如何にあることは極めて瞭らかとなった。……アッツ島の勇士はなぜ散ったか。道民の一人/\がその責任に於て断乎蹶起すべきの秋が来た。前線に飛行機を送れ!」(常会資料 二八)と大政翼賛会が一人一円募金による軍用飛行機献納運動をくりひろげ、札幌村ではいち早く飛行場開設記念として「札幌村号」を海軍省に寄贈したが、札幌市会では金の工面に悩む市民の苦労が議論された。
 新飛行場駐屯の第五四戦隊は樺太への移動を命じられ、昭和二十年八月十四日「隼」二四機が発進したが、名寄上空で全機引き返せとの指示を受け丘珠に戻った。そして翌日戦争終結のラジオ放送を聞いた。その次の日には無条件降伏の正式通知が届き、五日後に解隊となった。このあと新飛行場はアメリカ軍によって接収され、飛行機はガソリンをかけられ焼却された。周囲の住民は黒煙をあげて炎上する飛行機の影に、戦争の末路を見る思いがしたという(丘珠百二十年史)。なお、アメリカ軍の空襲と市民生活のかかわりについては第七章五節で述べるので、本章ではふれないことにした。