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「夜の女」の増加と「風紀取締条例」の制定

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 政府は、公娼廃止後の施策として、私娼の取締・発生の防止・保護対策を二十一年十一月十四日の次官会議で決定した。公娼廃止後の風俗対策中、特殊飲食店を指定して、警察の特別取締の対象とし、特定地域に限定して集団的に認める措置をとったので、やがて、「赤線」「青線」の隆盛となる。これは、警察の地図を旧公娼地域は赤で囲み「赤線」地域、私娼地域は青で囲んだことから「青線」地域の名が生まれた。札幌の場合、遊廓免許地・白石遊廓街に限って「特殊飲食店」と認め、「赤線」地域と称し、また、実質的に特殊飲食店と変わらない集団売春営業地域・薄野(明治初期から大正十一年まで札幌遊廓街)の一部を「青線」と称した(すすきの千一夜物語ほか)。これらの娼婦を「私娼」・「散娼」と呼び、市街を闊歩して客引きする娼婦を「街娼」と呼んで区別し、そのほかの料飲店や一般家庭にいる娼婦を「モグリ娼」と呼び、これらを「夜の女」と総称した。
 同年十一月二十六日、厚生省社会局は「婦人保護要綱」を出して、女性の転落防止のために相談指導と婦人寮等の福祉施設の充実を主要都市に重点を置いた保護対策を講じた。札幌の場合、いわゆる「夜の女」に対して強制検診を行う程度で、これといった更生施設を持たなかったが、二十二年七月、北海道知事を委員長として発足した北海道性病対策委員会が、「更生寮や、浮浪婦女子を詳細調査して親身な生活指導を行う」ことを決定、はじめて福祉施設が浮上した。とりあえず既設の北海道立白石第一治療院を更生寮として五〇人を収容、治療とともに手芸、編み物などの職業指導から花壇、菜園の栽培、音楽による情操、倫理教育からなる更生計画が持ち上がった(道新 昭22・7・8)。しかし、すぐには実行には移されていない。二十二年の『市事務報告』によれば、札幌だけで街娼数は、推定一一〇〇人がいるとされ、うち顕在者三〇〇人、潜在者八〇〇人とみなされた。しかも、この年の診療所入院患者三〇四人、退院患者一七二人、逃亡者五八人、刑務所入所者六九人、退所者六三人という実態も明らかにされた。この数字は、恐らくすでに検挙された、いわゆる顕在者だけの実態であり、潜在者、すなわち調査の対象に入らない、生活の拠り所を得られない放任状態に置かれている者がいかに多いかを示すものでもある。
 二十三年一月、札幌市警察署では「夜の女」が風紀上、性病予防上社会問題であるという観点から一斉に調査を行った。その結果、笑和保健会(私娼・白石遊廓街でつくる会員組織)六〇軒、一九二人、芸妓・酌婦・ダンサーなどの被検診者約三〇〇人、もぐり業者二〇〇人と「パンパン」を加えて約一〇〇〇人以上にのぼることが判明した。強制検診で性病保持者と分かった数字を見ても、笑和保健会員一一パーセント、芸妓・酌婦八パーセント、ダンサー〇・一パーセント、検挙された街娼三〇パーセントとなっており、さらに未検挙の街娼の場合、性病保持者はおそらく五〇パーセントをこえるだろうとまで公表された(道新 昭23・1・24)。さらに五月二十一日の『道新』には、札幌市が「更生の家建てて指導」を目標に、「ヤミの女約三〇〇〇」もいるといったショッキングな数字を掲げ、街娼の七〇パーセントが家出人であるため、その保護対策として帰郷をすすめ、親の監督下におくこと、「正業」を斡旋すること、なるべく結婚させることを重点目標としつつ、とりあえず半年くらい一カ所に収容する更生寮の開設を目標にしたものの、またもや実行に移された痕跡はない。
 政府は、二十三年七月十日、「風俗営業取締法」を公布・施行、北海道でも、同年九月「風俗営業取締条例」を公布・施行した。これが、二十六年成立の売春取締の第一弾「札幌市風紀取締条例」、二十八年成立の売春取締第二弾改正「札幌市風紀取締条例」へと発展してゆく。しかし、この間の札幌市の要保護女性の実態は悪化の一方であった。
 二十四年二月、札幌市警察署で市内約五〇〇軒の飲食店、喫茶店、料理屋等の女子従業員一五〇〇人を対象に調査したところ、うち三割が前借を条件に強制労働させられていることが分かり、二十一年の「公娼の廃止に関する覚書」に違反していることが判明した。おまけに前借金で身動きがとれなくなっている女性が二、三百人いる事実も明らかになった。さらに、これらの女性たちのうち約三割が炭鉱・農村地帯から周旋屋をとおして、いわゆる人身売買された者たちであり、残りは家出人が不良に騙されて売られた者たちであることも分ったが、彼女たちの無知さゆえから生じた契約書なしの前借のため検挙が困難で、市民から情報提供の協力を求める始末であった(道新 昭24・2・24)。
 「性病予防法」が施行されたのは、二十三年九月一日からで、札幌市の場合も性病対策に苦慮していた。札幌市警察署が二十三年中に検挙した街娼の人数は、一二七九人にも及び、うち三四九人が性病保持者であった(表30)。これは約三割に相当する。道庁衛生部でも、道立白石第一治療院が二十三年九月から二十四年八月までの一年間に取り扱った街娼五四五人を対象に調査したところ、全体の三一パーセントが性病保持者で、その内淋病六四パーセント、梅毒二七パーセント、淋・梅毒四パーセント、その他五パーセントといった、やはり同様な実態であった(道新 昭24・9・4)。
表-30 昭和23年中札幌市内街娼検挙実態 (札幌市警察署分)

区分

職業
検挙人員性病保持者
淋病梅毒淋梅合計
無職1,0622055941305
ダンサー101134421
進駐軍雇婦314318
事務員19112
女給15314
女工13213
店員10
洋裁生102114
看護婦611
その他1211
合計1,2792317048349
『北海道警察史(二)昭和編』より作成。

 では、街娼は当時どのような実態におかれていたのであろうか。次に、二十四年十月の道保健指導課が参議院法務委員会の調査依頼により行った、札幌市内街娼五五〇人の実態調査の結果を示しておく。
▽転落の動機=好奇心二七パーセント、虚栄心二二パーセント、生活難一八パーセント、自暴自棄九パーセント、職場での誘惑九パーセント、その他一五パーセント。
▽月収=一万円以上九パーセント、一万五〇〇〇円以上一八パーセント、二万円以上一八パーセント、二万五〇〇〇円以上四八パーセント、三万円以上七パーセント。
▽売春禁止後=やめる二八パーセント、大多数は、地下にもぐってでも続けるしか仕方がない。
▽継続年数=一年以下一三パーセント、二年以下三一パーセント、三年以下五四パーセント、三年以上二パーセント。
▽学歴=小卒三六パーセント、高小卒四七パーセント、高女卒一五パーセント、専門学校卒以上二パーセント。
(道新 昭24・10・17)

 戦後売春の特徴である街娼、特に「パンパンガール」と呼ばれた外国人相手の街娼の存在は、敗戦国日本の女性の悲劇を象徴するものであったが、このデータはまさにそれらに近い状況を語っている。彼女たちの多くは、意外にも生活難からというのは少なく、好奇心・虚栄心にかられてなったものが多いといった特徴を持っていた。当時の街娼は、強制ではない反面、どちらかといえば誘惑に陥りやすく、一旦この世界に脚を踏み入れたら最後、てっとり早くお金が稼げることから、たとえ禁止になっても生きる術を知らないがために地下にもぐってでも続けざるを得ない、といった女性の人権の確立とは正反対の位置に存在していたといえよう。
 その後も「夜の女」は増加し続け、二十五年三月札幌市警察署の調査では、ざっと三五〇〇人、人口比率でみれば「日本一」ともいわれた(二十五年の人口約三一万人)。調査によれば、散娼約五〇〇人(薄野・白石・豊平橋河畔)、街娼約一三〇〇人(豊平・山鼻・中島・円山・鉄北一帯・桑園)、モグリ娼約一七〇〇人(繁華街から場末の料飲店・一般家庭)といった内訳であった(道新 昭25・4・1)。
 札幌市でも二十四年以来「売春取締条例案」を市議会に提出していたが、審議未了のままであった。「売春禁止条例」を実施した自治体は、すでに東京、仙台、新潟、別府等が先行していた。二十五年六月、市公安委員会から「市の現状は目に余るものがあり一刻も早く条例を制定、取締りの万全を図るべきだ」との意見が強く出され、同月市議会厚生委員会でも検討に入った。また、一般市民の人権意識の自覚も高揚しつつあった。折しも二十五年七~八月にかけて旭川市で北海道開発博覧会の開催が予定され、「京都島原のおいらん道中」の招致が計画されたことから、札幌市内三七の女性団体が招致反対決議文を道知事と旭川市長に送るといった抗議行動も起こっている(道新 昭25・6・29、『北海道開発大博覧会誌』によれば「京都島原のオイラン道中三日間に亘り」実施されたとある)。『道新』も、「売春禁止条例の制定 私はこう思う」の記事で、市公安委員長の「一日も早く望む」、笑和保健会組合長の「ポン引一掃が大事」、札幌料理割烹組合専務理事の「待合を認めて欲しい」、市議会副議長の「男女とも取締れ」といったように、議論が沸騰しつつあった(道新 昭25・9・6)。「売春条例案」は、二十六年一月十六日高田富與市長の手元でまとめられ、同月二十二日、市議会治安・厚生合同委員会で検討の上、二十九日本会議に提出され、「札幌市風紀取締条例」は可決、三月二十日から施行された。しかし、この条例は、業者を含む売春行為そのものの取り締まりではなく、街頭の客引きおよび部屋の提供者に対する取締まりに重点をおき、客引きには三カ月以下の懲役もしくは一万円以下の罰金(同常習者には六カ月以下の懲役もしくは二万円以下の罰金)、売春を行った者に対し部屋の提供者には一年以下の懲役もしくは三万円以下の罰金を処する、というものであった(昭26一定会議録)。しかし、その後の実態は、条例が売春行為を禁止していないこと、陰で糸をひく業者が取締まり対象外であること、性病検診の不徹底等から盲点をつかれ、「黙殺」状態であった。街娼が「モグリ」営業に転じたり、街娼性病保持率が上がるなどで、条例の効果は現れていない。二十七年中の『道新』の見出しにも、「取締は完全になめられた様相」「威厳?失墜の風紀条例、恋人風や潜行戦術、新手用いますます跳梁」「盲点!外人相手の夜の女、目を覆う跳躍ぶり」と、いった文字が躍る。
 ところで、意外にも取締強化を後押ししたのは千歳町に駐留していた米軍といった外部の力であった。同年十月、米駐留軍側から千歳町に対し「十一月末までに町内から特殊女性その他不必要な存在を除去してほしい」(道新 昭27・10・31)といった申し入れがあったことから、札幌市は重大問題として対策に乗り出すこととなる。札幌市衛生課では、千歳町の「夜の女」約二〇〇〇人が追放された場合、最低二割が札幌へ流入すると予測した。このため、十一月十一日開催の市議会性病対策小委員会で、緊急討議となり、対策委員会では正式に「売春まかりならぬ、相手も取締る」「近く業者らと公聴会」開催予定とし、「売春取締条例案の大要」を決定した(道新 昭27・11・12)。これを受けて、市内自治料理店組合はじめ五つの組合では、絶対反対を表明、ある組合員は「どんな条例になっても私たちは親兄弟、そして可愛い子供のためにこの地域にもぐって生きて行かなければならない」と、意気込みを語った(同前)。
 以下、改正「札幌市風紀取締条例」が可決成立されるまでの経過を『第八期札幌市議会小史』、『道新』を中心に追って見る。
27・11・14市議会厚生・治安合同委員会、売春取締条例制定及び赤線地域設定の可否について論議、結論出すに至らず。
  11・17日本有権者同盟札幌支部・救世軍札幌小隊家庭団、取締り結構だが、厚生施設も大切と市に陳情。
  11・25市議会厚生・治安合同委員会、売春取締対策聴聞会開催。各方面代表二六人の公述人から意見を聞く。業者側「売春は必要な社会悪」を主張。婦人側、厳重に取締って効果をあげた例たくさんあり、「明るい街を作るために実施に移せ」を主張。条例制定反対意見多い。
  11・28市議会治安委員会開催。売春取締条例問題結論出すに至らず。厚生委と改めて協議。高田市長の個人的考えとして、「赤線地域を設け現行条例を改正強化」の発言。性病対策委提出の「売春禁止」まで一挙にもってゆくのは困難、現行条例の一部改正、強化にとどまる空気強い。
  12・6市議会厚生・治安合同委員会開催。市公安委員会提出の「風紀取締条例試案」をめぐって審議。性病対策小委案が売春行為そのものを禁止し、売春婦ばかりでなく相手方の男も取締りの対象としているのに対し、本人及び第三者の勧誘行為はもちろん、場所の提供や娼家の禁止を規定するもので、いわば陰で糸をひく業者の取締りに重点をおくからめ手戦法であり、意見が二つに分かれる。
28・1・28民生委員協議会、条例の盲点無くせと、場所の提供の規制を市に申し入れる。
  3・4市議会厚生・治安両委員会、現行条例の改正・強化の結論に達す。売春等取締に関する対策小委員会(七人。委員長竹村マヤ議員)の設置決定。対策小委員会の改正案、「客引き行為を行った女や売春させるための婦女子を雇い入れた業者なども取締りの対象」として強化。
  3・5売春取締対策小委員会、売春行為、場所の提供、売春をさせる行為の禁止等をもりあげた具体案決定。
  3・14幌都料理組合長以下八七人、「禁止的条例を設けることなく」「接客婦の登録」現行条例の「完全な履行に服す」等の陳情書、市議会に提出(反対運動)。
  3・17市議会議員阿部初太郎以下一八人により改正案、市議会に提出。同日、市議会厚生・治安連合委員会より「売春等取締及び性病対策の調査報告書」、市議会に提出。
  3・18札幌市料飲店組合連合会会長以下一五〇人による「売春をさせる行為の禁止」「場所提供の禁止」の二カ条の緩和を求める陳情書、市議会に提出(反対運動)。
  3・23市議会に、売春等取締及び性病対策の調査報告、風紀取締に関する陳情、札幌市風紀取締条例案についての歎願書(陳情)、売春婦の保護厚生対策及び一般婦女子の転落防止対策等に関する意見書案、札幌市風紀取締条例案が一括上程され、売春禁止をもりこんだ改正「札幌市風紀取締条例」可決成立。

 特に、二十八年三月二十三日の第一回定例市議会においては、厚生・治安両委員会代表阿部初太郎議員の報告、趣旨説明がそれをあますところなく語っている。それによれば、厚生・治安両委員会として、売春行為の取締まり、性病対策、青少年の環境純化、売春婦の厚生対策等について検討を重ねてきたこと、二十七年七月以来の厚生委員会の単独調査研究、売春条例試案の作成過程から聴聞会を開催したこと、小委員会において竹村マヤ議員を委員長としてほか六人の委員による調査・検討がなされたこと等が縷々述べられ、さらに次のように決定したことを報告した。
調査の結果、婦人の真の解放を計り婦人の人権を擁護し、もって婦人の地位の向上を実現するためにこのような業態を一日も放置しておくことは許されないので、即(ママ)かに現行の風紀取締条例を根本的に改正強化するために、速かに委員会は条例の全面的改正案を委員会に提出されたのであります。(中略)即ち売春等取締及び性病予防についての基本的方針は本市の善良なる風俗と健全なる社会秩序の維持を計るとともに、それが対策として、まず売春の取締について現行の取締条例では取締の完全を期し難いと認められるので、別に試案第五十七号として提案をいたしておりまする通り、現行条例を全面的に改正し、売春及び売春に関連する諸行為を取締ることとし、従って取締の対象については現行条例が売春に伴う諸行為のみを取締っていたものを自ら売春及びその勧誘行為をしたもの、または第三者が売春勧誘行為をしたもの、及び売春をさせる行為をしたもの、並びに売春のための場所の提供の行為をし、それによって利益を得るものを取締の対象とし、それらの罪を犯したものには総て相当の罰則を適用することにいたしたのであります。(後略)
(昭28一定会議録)

 こうして札幌市では、これまでの条例が単に客引きや置屋禁止に止まっていたのに対し、さらに、①売春行為を行った者、②売春目的で婦女を雇い入れた者、③売春のために場所を提供した者、等も取締り対象となる他府県都市でいう「売春禁止条例」と同様な内容をもつ改正条例を、全道にさきがけて成立させた。「いくら条例を強化してもムダであるばかりか、かえって潜在悪質化の恐れがある」との反対論を押し切り、賛成三一票対反対八票での可決であった。改正条例は、四月十三日から施行された。条例施行にともない、それらの女性の更生施設・中島ホーム(元北日本鋼機株式会社中島寮)を設置、救世軍札幌小隊が運営を委託された。収容人員は二〇人であった。二十九年の『事務概況』によれば、収容された延べ人員は九六人(元従業婦三八人、その他五八人)、更生保護を受けた延べ人員は、八五人(結婚二人、就職七人、帰省五九人、入院七人、無断退寮一〇人)と、まずまずの効果が窺われる。