ことし春三月廿四日[癸卯立夏]夜亥の上刻[是時星隕ルコト如雨。或云今日西北ニ白虹ノ如キヲ見ト]わがしなのゝ地大にふるひ、山くづれて谷を埋(うづ)み、川かたふ
きて陸をひたせり。そが中にも殊に稀代の大変と聞へしハ、更級ノ郡[姨棄山西三里余]平林むらなる虚空蔵(こくうそう)山[又
岩倉山トモ]といへる
高ねいたゞき両端に崩れ[一方高卅余丁長廿余丁、岩倉・孫瀬ノ二村水中ニ陥ル]、名たゝる犀(さい)川をへだてゝ水内郡みぬち村にわたり[久目路ノ曲橋北一里余下]
岩(がん)石巨(こ)木さながら堤防(つゝみ)をなし[又一方高十五丁余長廿余丁、藤倉・古宿ノ二村同地中ニ圧ス]、さバかりの大河こゝに於て水一滴(てき)もらす事なく、下流
いくばくの船渡(せんと)[長井・村山・小市・丹波島以下]一時水落舟くだけて人みな徒行(かちわたり)して逃(のが)れ、あへて踵(くびす)をぬらす事
なし[是辺急流ニシテ棹サスコト難シト。故ニ大縄ヲ曳舟ヲヤル]
[或云、コノ時小市ノワタリニ舟ヲ出ス者アリ。操漕ステニ水央ニ至ントス。忽焉トシテ山フルヒ川ワキ、巨縄ヒトシクキレ、大船[馬舟ヲ云]トモニクダケテ瀬脇ノ丘ニトブ[川上一里]。頓ニシテ、水カレ地サケテ一箇ノ山河中ニワキ出、ソコバクノ人馬アル処ヲシラズ。只舟師ノヒトリ綱ヲトリ、幸ニシテハルカノ山上ニ免ル有ト。方ニコレ山川位ヲ易ルト可謂カ]。又虫倉岳(むしぐらたけ)
といへる大山半腹(なから)左右(さう)にくづれ[伊折・藤沢・地京原等ノ数村ヲ埋ム]、戸尻(どじり)川の流ふさがる[依之五十里(イカリ)・一ノ瀬・中条等ノ舎ヲ浸シ田ヲ没ス]。をなじく山陰(かげ)澣花(すゝバな)川の水源(かみ)またこと/”\く
崩れ、ともに水路通ずる事なし。其余鹿谷(かや)・猿倉(さるくら)・境川・聖(ひじり)・浅川・八蛇(やじや)・鳥居川等すべて犀千隈(ちくま)ながれに添(そ)へ西北
の池くづれ裂(さけ)ことに甚く[山林田園高低変替不可記。或ハ土沙水火ヲ湧発ス]、流水井泉これがために涸(か)る[又温泉ニ出没アリ。中ニ温却テ冷ト変ル有]。舎屋(いへや)たふれ覆(くつがへ)り[瓦屋最甚シト。萱舎モ亦不一]、
焔火(ほのほ)忽に発り、老少相かへりみるにいとまなく、壮者といへども圧傷(おされきづゝくもの)なき事あたはず。適(たま/\)まぬがるゝもわづかに一身を
以て避(さけ)るのみ[在階上者多不及死]。就中
善光寺[二日三夜ニシテ余焔消ス]、
新町[水内山中ノ市会ナリ。翌日午時ニ至テモ火勢倍熾ナリ。時ニ
犀川ノ
洪水サカシマニ湛ヘ上リ、水火互ニゲキシ共ニ市中ヲ没ス]上ハいなり山に至り、下
飯山に及ひ、延
焼する事連日にして鎮(しづま)る。○[当是時
善光寺如来有開扉之大会而諸国群参頗如雲盛儀倍毎例。一時震動発火及四境。殊本堂楼門鐘楼経蔵等僅無異矣。別当大勧進雖有小破不及顛仆倖脱火災。其余四十八院堂塔坊舎一瞬而悉付烏有]
同廿八日[丁未]暁すゝ花川祖(そ)山黒波(くらなみ)辺の滞水はしめて通す。[於是丹波島一小船ヲ用ユト]
同廿九日[戊申]午刻又大に震ひ諸方多く潰(つへゆ)る。[北越高田及今町殊ニ甚シ。廿四日ノ災ニ超ルト云。四月廿九日同今町尽ク焼亡ス]
四月七日[丙辰]巳刻大風にはかに発し雹降る。[是時西南ノ天如摩墨。大雨至夜倍不止。翌八日
戸隠山滂沱トシテ洗ガ如ト云]
同十日[己未]自巳至未刻暴風大雨木をぬく。[今日人ミナ以為
犀川溢レ出ト。資財ヲ相携テ走ル。同時諸国共ニ大風、尾濃ノ間舎屋稍傾ト云]
午刻戸尻川くづれ通す。[是川安曇郡ニ出テ大安寺ニシテ
犀川ニ入。時ニ犀干(ヒ)川ナレトモ尋常ノ
洪水ニ減セズ。小市辺ノ堤防タメニ破ル。先是命有テ河内ノ粟(アワ)ヲ河東ニ徒シ、老幼ヲ東山ニ仮居ナサシム]
こゝに
犀川の流れ停滞(とゞまる事)すでに月をこへ日二旬(はつか)に及び、沿流(なかれにそふ)の村落(むら/\)水底(そこ)に沈(しつ)み、
上ハ筑摩・安曇を浸凌(ひた)し[水内・更級二郡ヲ貫キ、生野・生坂・宇留加辺]、凡八九里、その間山崛曲(つらなり)し川盤渦(めくり)し、
幅員(はゞ)広狭又[或三十余丁、モシクハ十余丁]測(はか)るべからす。[或云、三月下旬岩倉ノ《タイテイ》一日盈コト七八尺、四月上旬ニ至リヤヽ広ク、一昼夜ゼン/\三尺ニ不過ト]しかるに去ル七日以来
暴風(かぜあらび)霖雨(ながあめ)し、或ハ溢れ或は泄(もれ)て第二の《タイテイ》(つゝみ)水数丈を湛(たゝ)ふ。[同十二日水涯ノ高コトナヲ二丈アリト]
同十三日[壬戌]午尅雨至未晴。申下刻西南の山鳴動す。[コレ岩倉第一ノ堤クツレ、激浪滔々トシテ溢レ落ル声遠ク松代・須坂・中野ニ達ス]
[是時僕昌言海津ノ西条山ニ在テ水声ヲキクコト良久ク、アタカモ耳ヲ衝ニ似タリ。須臾ニシテ烽西ノ真神ノ山上ニナル]俄にみる、雲霧(うんむ)谷を出て東北にはしるを[コレ水烟ナリ]。
時に疾(はやき)風いさごを飛し濆波(いかれるなみ)雨を降(くだ)す。魁(さき)水のほとバしるさま百万の奔馬(あれこま)
を原野に駆(かる)がことく、巨涛(おほなみ)のみなぎる天地を漂(たゞよハ)す歟と疑ふ。山岳ために
沸騰(わきあからんと)す[是時真神山下水嵩六丈六尺四寸]。その水勢の迅速(すみやか)なる、一道の水路南に向ひ小市・小松原
を陥(をとしい)れ、今里・今井を経て御幣(をんべい)川に至り[用水上堰行程三里]はじめて
千曲川に会す。
又一道四屋・中嶋を蕩尽(とらか)し、南北原村[千本松ノ際]を過、会(あひ)・小森[二軒家]にして
ともにちくまに入る。日既に西山に没し、又一道北川原・梅沢・鍛冶・上
氷鉋(ひがな)を浸(ひた)し、丹波嶋を南へ廻り、両大塚・小嶋田を貫き八幡原
に推(をし)出す。於是みな海津に湊(あつま)ると[時ニ千曲ノ水嵩ムコト二丈余水上横田篠井辺ニ沂ル]。夜亥の初
にして東西五七里、南北越路(こしち)に及ひ[翌十四日申剋北越新潟ニ魁水ハシメテ達スト。凡五十里]、高低となく
水ならぬ処なし[丑剋ニ至リ水勢ヤウヤク涸レ、暁天ニ悉乾キ三四ノ大川トナル]。同十四日[癸夘晴]迥(はるか)に奥の
郡[陰徳沖・木島平]を望(のぞむ)に渺茫(べうぼう)として長江の際(かきり)なきに似たり。
数日の後、水ひき土かはき常のごとし。
同十七日[丙申]未刻雷鳴驟(にハか)に至、暴風屋を破る[
佐久郡及甲州]。
[大雹蔽地稼苗悉枯農業廃業]同廿八日[丁丑]日輪紅のことく光暉なし。
五月廿日[戊戌]鹿谷川の湛水くづれ通す。
六月廿日[丁未]雷公数処に落[寺舎ヲヤキ人馬ヲソコナフ]。
七月朔[戊寅]二日三日昼夜しハ/\震ふ。
同十九日[丙申]夜丑下刻諸方大震動、人みな
庭上に仮ゐす[暁澣花川ノ水源瀬戸・川浦辺ノ湛水クヅレ、
善光寺辺人家タメニ流ル]。
けふ十月の末その余波(なこり)[或驟ニ震ヒ或鳴動シテ至]しバ/\也。
凡四大種の中水火風の三ハ常に害をなす事
あれど、大地に至ては殊なる事なしと覚へしに、
恐てもをそるべきは唯地震(なゐ)也と、長明師
の方丈の記に書給ひしも実也ける。
或云、治承二戊戌三月廿四日
善光寺草創ノ後初回禄。
応永丗四年丁未又炎上スト。二件今災ト支干ヲ同クス。一
奇事ト云ヘシ。