○筑摩 郷原

   21左  
村井迄一里半、南北八丁程相対して巷をなす、民家多し、宿の入口
唐松の大樹二株あり、巽の方へ壱町バかり列樹の松茂り、朱の鳥
居見へて、稲荷の祠あり、郷原の産上神とす、
○郷福寺[桔梗山白馬院と号す、真言宗京知恩院に属す、] 本堂本尊[大日、] 観
音堂[正観音、聖徳太子御作信州百番の内二十八番の
札所なり、] 薬師堂・聖天堂・山門・惣門等焼失して仮殿なり、句碑有、
  野を横に馬〓むけよほとゝきす    はせを
原新田村の入口に分れ道あり、石標に[右京いせ道、左伊奈諏訪道]松本の方より来
る人の左右なり、凡上方筋より善光寺へ参るに多くハ中山道妻籠宿の橋場より右
へ入り、飯田の城下へかゝり、甲州の元善光寺へ参り、夫より塩尻宿へ出て、此
道へ来るなり、[塩尻より是迄弐里]此側に神明宮の森あり、祠の右脇に立石あり、
 
   (改頁)
 
   22右  
 
両太神宮へ四十八度、善光寺へ四十八度、秩父坂東御山々、西国四国信州不残、寛
保二壬戌天八月廿二日平林氏と〓す、
 平林氏は俗称善五右衛門といふ、百姓にて、所々参詣の度数を末世に示
して、子孫の後栄を祈りしとなり、
桔梗が原[四方の山隔りて平原の地也、今ハ田甫となりて空地見へず、]此辺の河
原にて、矢の根石を捨ふ事あり、雨の後
など多しとぞ、他所にもあれども、桔梗が原のを上品とするなり、