ディアナ号箱館入港

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ディアナ号 「北夷談」付図 (文化9年松田伝十郎著)

 ディアナ号は9月11日ようやく絵鞆に到着、ここで嘉兵衛があらかじめ差向けておいた部下の水夫平蔵を水先案内として乗込ませ、同16日夜箱館港外に停したが、嘉兵衛は早速小舟に乗ってディアナ号を訪れ、連絡をとって翌日箱館入港の手はずを取り決めた。
 箱館としては、寛政5(1793)年ラックスマンエカテリーナ号に乗じて入港して以来、実に20年目の異国船の入港であったから、予知されていたこととはいえ大変なことであった。南部藩は備頭下田将監以下180余人をもって、沖ノ口番所・弁天倉庫地・山背泊台場立待台場を守り、津軽藩は物頭牧野徳一以下150余人で、当別および矢不来の台場を守り、有川、七重浜、亀田は箱館在住同心がこれを守った。16日夜ディアナ号箱館港外に停した時などは、対岸一帯のかがり火の光が海波に映じてすさまじい情景であったという。この日松前奉行服部備後守貞勝箱館に来着し、翌17日いよいよディアナ号箱館に入港した。
 リコルドの上陸に先だち、嘉兵衛が官命を帯びてディアナ号を訪問、オホーツク長官の書を受領、9月19日正午12時、奉行所差し回しの飾船(儀礼艇)で、嘉兵衛が先導し、リコルドは陸岸に向かった。なおこの儀礼艇には選抜された16人の日本人舟子が乗っていたが、そのうちの大半は当時有名な箱館の大商人で、近々とロシア人を見たいという好奇心から、嘉兵衛に頼んで引受けたものであった。