箱館が貿易港として、国際的な関係をもつようになるのは、安政6(1859)年6月2日からである。すなわち、これよりさき安政3年7月、アメリカ総領事ハリスが下田に来り、巧妙機敏な手腕をもってわが官吏を説き伏せ、4年江戸に上って将軍に謁し、閣老らと会って世界の大勢を説き、貿易の利益を述べ、ついに安政5年6月19日をもって修好通商条約を締結した。もちろんロシア、イギリス、オランダ、フランスもまたこれにならい、いずれも同様の条約を結び、下田、箱館のほかに神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、大坂を開いて外国貿易港とし、開始期日、居留地、運上金、貨幣の交換、犯罪者の処罰、遊歩里数、宗教などについて規定した。このため箱館奉行も6年正月、外国貿易に関する掛員を任命し、諸規則を制定し、その他開港に関する種々の準備を進めたが、幕府は同年5月28日、横浜、長崎、箱館の開港を命令し、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、オランダの5か国人と交易売買することを許す旨を一般に布告し、箱館は6月2日に外国貿易港になったのである。