長崎俵物の直貿易

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 長崎俵物については、開港前には幕府の長崎俵物役所によって、独占的に集荷され、長崎会所を通じて長崎港から一手に輸出されていた海産物で、国内での私的売買はもとより、密貿易も厳禁されていた。幕府は諸外国と通商条約を締結するにあたって、この俵物を特別扱いの規制輸出品として指定するような措置をとらなかったにもかかわらず、依然として開港前の方針に従って、清国向けの独占貿易品として長崎1港から輸出しようとしたため、諸外国の反発を買い、物議を起こした。このような事態をもたらしたのは、幕府の優柔不断な態度によるもので、すなわち、箱館奉行はこの開港を機会に、松前北国筋(蝦夷地・津軽南部地方)産の俵物を、箱館奉行所を通じて箱館港から一括輸出することを終始幕府に具申していた。これに対し長崎奉行は、従来どおり長崎港の対清国向け独占輸出品であることを主張して譲らなかった。そのため幕府は、そのいずれとも裁断しかねていた結果によるものであった。(『近世海産物貿易史の研究』)
 しかし、一方諸外国側は両奉行所のいずれの意見をもいれず、あくまで自由売買、自由貿易の具体化を要求し、特にイギリスは、日英通商条約をたてに、領事を通じて箱館奉行に、自由貿易を強硬に迫ったため、万延元年2月、箱館奉行はついにこれに属し、次のような触書をもって一部俵物の自由売買を許すに至った。
 
    触書
干鮑並ニ煎海鼠之儀、外国人ニ売買する事勝手たるべし。
右之通英吉利コンシュルより申立候趣もこれある趣ニ付き其意を得べし、尤も長崎俵物方より前金受取売渡し候分、弐重売相成らざる様所持之分売渡すべきもの也
            (『御触書写』)

 
とあって、すなわち長崎会所より前借金を受けて生産した請負高以外の煎海鼠干鮑については自由売買にするというものである。