産物会所の設置

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 幕府の蝦夷地再直轄は、開港および北辺の防備という対外的な要因によって行われたものであったが、一方では蝦夷地の生産、流通に全面的な統制を加え、その利潤を得ようとするものであった。そのため、箱館奉行所は、安政4(1857)年幕府へ産物会所の設置を稟請した。その理由は、従来蝦夷地の産物は、箱館、松前、江差の3港で検査のうえ移出していたが、その検査が緩慢であったために移出高も精確につかめず、かつ、外国船が来航するので、船手の密貿易も行われる心配があったので、これを取締るため江戸大坂、その他諸国の要地に箱館奉行付属の会所を設け、役人を置いて、その地の問屋などのうち相応の人物を選んで用達とし、江戸大坂箱館の3か所でこれを統轄し、箱館や松前から行く船舶を取締り、貨物売捌き価格の100分の2ないし3(従来諸国問屋口銭は100分の3ないし10であった)を上納させ、諸費用を引去った残りの利益を、蝦夷地の警衛ならびに開拓の費用に充当したいというものであった。