幕府再直轄時代の御雇医師としては、
田沢春堂、
塩田順庵、
下山仙庵、
柏倉忠粛などの名が見られる。春堂は南部
佐井の人で、
江戸の吉田長淑の門に入って西洋医術を修め、高野長英と同門であった。
箱館に来て開業中安政2(1855)年
箱館奉行所の雇医師に任じられた。順庵は加州金沢の人で増島蘭園に学び、官医塩田宗温に請われて養子となり、安政3年
蝦夷地在住を命じられ、
箱館奉行所学問教授役となった。仙庵は仙台の人で、
箱館の町医師であったが、安政5年奉行所雇医師に任じられた。忠粛は出羽村山郡の人で米沢で医を学び、
箱館に来て開業中万延元年
箱館病院頭取に挙げられた。
安政4年幕命を受けて、
蝦夷地の
アイヌに強制種痘に来た
深瀬洋春は、
箱館の生まれであるがのちに述べる。奉行所の役人であった
栗本匏庵も医籍の人である。
文久のころには、官医、町医など合わせて40人近くいた。
田沢春堂
塩田順庵