寺院

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 『箱館夜話草』に「惣じて箱館の寺々は他国の寺院に対しては、実に御朱印地あるいは大地に比すべし」とあり、外人の記録にも「この国で見たこの最も美しい建物」(アメリカ日本遠征隊の一員スプロストン士官の記録)などとあって、寺院は豪華であった。開港とともに寺院は外人の宿所や休憩所に利用された。安政4年には高田屋の闕所でなくなっていた不動院が、南部の修験者の手で再興され、翌5年には高龍寺が堂宇を再建している。またこの年浄玄寺が本山の掛所となり、本願寺箱館御坊浄玄寺と改称した。浄玄寺は松前専念寺の掛所であったが、京都の本山は開教上の拠点として箱館に着目し、年額50両の借上会釈金を払う約束で、これを本山直属としたのである。それは次に述べる本願寺派の寺院出現に対する対抗策でもあった。
 願乗寺(浄土真宗 現本願寺派本願寺函館別院) 安政4年、本願寺休所として建ち、万延元年、本願寺掛所願乗寺と改称した。西本願寺は東本願寺末寺の専念寺に拒まれて、永く蝦夷地に寺宇を建立することを禁じられていたが、幕府再直轄の代になって、はじめて小樽とここに寺院が出現した。そのために奔走したのが奥州下北の騎乗寺の僧乗経であり、彼は上磯の濁川(清川)の開拓や願乗寺川の掘割などで活躍した名僧である。明治10年本願寺別院となった。
 ほかに安政4年浄土宗有珠善光寺の説教所が建ち、文久元(1861)年には天台宗清光院(現真言寺)が建ち、慶応3年には真言宗智山派注連寺(湯殿山)が出現している。吉川町の浄土宗極楽寺は念仏堂といい、また無縁寺とも通称され、仕置場のそばに建てられて、慶応のころから僧が住んだ。