縄文時代各期の遺跡

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 縄文時代早期になると、函館の住吉町遺跡出土品に類するものが、西桔梗N-1、N-2、N-3の各遺跡などから出土するが、この地域は低湿地にある低い丘陵上で、海進、海退の影響を受けている。この時期は、函館周辺にも遺跡が増加し、梁川町、根崎町、函館空港東の中野遺跡などで、旧海岸線沿いに遺跡分布が見られ、漁労生活が行われ、舟もあったものと思われる。
 縄文時代前期は、石川野、西桔梗A、Eの各遺跡に村落の移動があり、サイベ沢遺跡では集落が形成されるようになる。函館空港第4地点遺跡では、すでに円筒土器文化初期の集落が形成され、村落共同体のようなものができていた。また、これと同時期の南茅部町ハマナス野遺跡からも集落跡が発見されたが、サイベ沢においては縄文時代前期から中期にかけて大規模な集落が形成されている。
 縄文時代中期になると、赤川遺跡や神山の権現台場遺跡、東山遺跡など遺跡範囲も拡大する。特にサイベ沢遺跡では、東西六〇〇メートル、南北五〇〇メートルに拡大し、幾つかの集落が集合体を作るようになる。この時期は貝塚形成期となり、赤川の函館市水道局浄水場の近くやサイベ沢、煉瓦台、湯倉神社裏に貝塚を残し、函館山周辺では函館公園裏、アサリ坂、大町にも貝塚が形成され、道南地方でも松前の伊勢畑貝塚、戸井の戸井貝塚、原木貝塚長万部の静狩貝塚が、この時期に形成されている。
 縄文時代後期の遺跡は、西桔梗D遺跡などがあるが、大規模な遺跡の存在は明らかでない。函館には函館公園から出土した青柳町式土器というものがあり、これに類する土器が煉瓦台貝塚湯川貝塚天祐寺貝塚で発見されているので、貝塚の形成期は中期から後期の前半までと考えられている。遺物では青龍刀石器と称するものが出土する。これは安山岩質の石で作られた石器で、刃部に丸味があり、溝が付けられ、柄のある石器で、あたかも中国の青龍刀を皮袋に入れた状態に見えるように作られているので青龍刀石器の名称が付けられている。この石器は形態に多少変化は見られるが、中期の後半から後期初頭のもので、赤川や煉瓦台貝塚からも発見されている。
 縄文時代晩期になると、土器製作技術が進歩し、精巧な土器作りが行われる。器形は深鉢形、杯形、皿形、注口形とこれまでに見られなかった器形が登場する。薄手で、縄文もすり消したり、口縁に微細な装飾文が付けられたりする。青森県では亀ヶ岡遺跡が有名で、土器に漆(うるし)塗りをしたり、朱を塗って飾るが、籃胎漆器(らんたいしっき)の皿や木製品も出土する。籃胎漆器とは、〈かご〉を母胎としてそれにうるしを塗って作った漆器である。亀田では西桔梗N-5遺跡や東山遺跡などでこの時期の土器が発見されている。