享保十四年の定

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 享保十四年の「定」は次のとおりである。
 
        定
 一 蝦夷え非分之義申懸間鋪旨、能々可申付候。并蝦夷地え盗買船行候段聞届候はば其旨早々松前表え可申越事。
 一 公事訴訟少も無依怙贔屓裁許、其次第具可申越、一分不了簡義は松前え申越、可差図候。科人等有之節は尤可相達之事。
 一 御城米積船䑺寄候節、随分入念可申候。猶別紙相渡候条、其通急度相心得可申事。
 一 切支丹宗門改の時分入念候様名主五人組共え能々可申付事。
 一 博奕賭の諸勝負堅法度可申付候。并盗賊、悪党者有之節急度遂穿鑿、町奉行所迄可申越事。
 一 他国船破損の節、船道具以下紛失無之様申付、船頭、水主共ニ米等令助成松前表え可差越事。
 一 亀田より知内迄釘合船取持候者改、町奉行え無断船は不自由様可申付候。他国え商売出候節は松前沖口奉行より切手取、出船候様可申付候。右の船帰候節は松前え乗来、切手沖口奉行え相返候様可申付事。
 一 昆布取場え他国より直ニ船来候ハバ人を遣、漕の船遭難風其辺えの様子聞届(注・其船留置、様子早々可申越候。若又松前え商売運 脱カ)、其趣可申越事。
 一 別紙書付の通停止物他え出し候義一切無之様可申付候。より〳〵其辺穀物類他え積出候様相聞得候事も有之間、堅其義無之様可申付候事。
 一 ゆふらつぷ、おしやまんべ断の外海陸荷物運候義堅停止の旨、在々徘徊の商人共迄急度可申付候。若於之は早々可申越事。
 一 他国の者奉行、名主え無断有付候ハバ其村払可申候。自然国所不分明ニて渡世の営無之、様子疑鋪者有之ば子細相尋、町奉行所迄可申越候事。
 一 亀田村諸所務役、年々無遅々相納候様可申付候。并新世間成候者五年宛穀役可相免候事。
 一 支配の村々百姓壱人も他村え有付申間鋪候。惣て百姓跡目無断絶様可申付事。
 一 已前の百姓共五年も捨置候畑地は新世間の者共えまかせ可申事。
 一 家作、衣服、飲食等ニ至迄倹約可相守旨百姓共え能々可申付候。諸百姓分限不相応成仕方於之は急度可申付事。
 一 親類ニ逢候迚他国より来候者有之ば、其者帰候節松前え遣可相返候。若領内の百姓親類ニ逢候迚他国え行候者有之ば子細相尋可差遣事。
 一 毎年極月年取商人其外旅人改申付候。并亀田、知内の内何方より船来候共、間役帆一端ニ付五拾曳宛可申付候。且又流船の証拠急度有之ば早々帰帆候様可申付事。
 一 自前々仕来候義も不宜筋有之は及心の程入念相改可申事。
  右の条々堅可相守者也。
     享保十四己酉年十一月          墨印
      沖出物法度の覚
 一米 一酒 一味噌 一塩 一大豆 一小豆 一麦 一蕎麦 一新物古手 一木綿 一綿 一植木 一銭 一鉄 一他国より積来材木 以上
 
  「元禄四年の定」(一六九一)と「享保十四年の定」(一七二九)はいずれも亀田番所が亀田に在った時代のものであるが、両者を比較して見ると次のようなことが考えられる。「元禄四年の定」にあって「享保十四年の定」に見当らない条文は「一 昆布時分より早く新昆布商売候義堅令停止候。」であるが、昆布生産地において松前藩の行政組織がある程度確立され、昆布採取および売買の取締が厳重になり、この条文の必要がなくなったためであろうか。
 また、「元禄四年の定」になくて「享保十四年の定」で出されているものは、「一 御城米積船䑺寄候節随分入念可申候。猶別紙相渡候条、其通急度相心得可申事。」、「一 別紙書付の通停止物他え出し候義一切無之様可申付候。より〳〵其辺穀物類他え積出候様相聞得候事も有之間、堅其義無之様可申付候事。」、「一 自前々仕来候義も不宜筋有之は、及心之程入念相改可申事。」の三条であるが、特に「一 別紙書付の通停止物他え出し候義一切無之様……」の条文から次のようなことが考えられる。
 移出禁止になっている物品は松前、蝦夷地にとって非常に重要な食料品、衣料などであり、また蝦夷地に入ってはこまる鉄製品、銭などであった。これらの物品は主として海産物を求めて来航する若狭、越前方面の船によりもたらされるものであったが、東北、北海道が凶作におそわれ、食料品が欠乏した年でも比較的容易に手に入れることができた。これに着目した一部商人は凶作の東北地方へ逆移出したり、またはひそかにアイヌ人居住地へ食料、衣料、銭、鉄を持ち込み、暴利を得ようとしたために禁止されるようになったものであろう。
 このほかにも亀田奉行関係の法令として次のようなものがある。