[閏四月]

1094 ~ 1099 / 1205ページ
一 此度箱館不動院、当年五穀成就の御祈祷、御掛り様御
 頼合ニ付、村々御修行被成候ニ付、当村の儀は上山村弐
 村相談役上山村松之助宿ニて御祈祷有之、則名主代六郎
 罷越、御百性惣代相勤申候。尤其節馬壱疋、人足壱人差
 出し可申様相達し候得共、馬は無之、人足壱人差出し
 申候。以上
   閏四月朔日
 当月当社御神酒代百文、名主徳三郎殿より借用仕候。
一 不動院荷物附馬弐疋、下湯川村継送り申候。
             人足壱人
   閏四月四日
 
一 高龍寺出し触書壱封并七重神主出の書状壱封
    湯川村御用向 中川小膳様 小頭菊池遠江
 此度御巡見様御廻村ニ付、村々末庵起立の年暦并本堂、
 庫裡間数書上候様被仰渡候条、各村方庵の起立年暦、
 建家数并間数相認、早卒当寺迄可差出候。尤庵主ニ
 年暦等不相分儀も可之候条、村役、檀頭等篤と相
 糺、早々可申出候。以上
   戌四月廿九日
 
地蔵堂内澗町) 観音庵(在川村) 宝樹庵(茂辺地村) 光明庵(大野村) 大悲庵(市ノ渡村) 宝琳庵(七重村)
能化庵(小安村) 右庵主、檀頭中、村役中
右村々より巡達在小安村能化庵え此触書可相納
候。尤起立、間数の書面御役所より御急の由ニ候間、来
閏四月十日限ニ可差出候。以上
 右の通下湯川村迄継送申候。以上
   閏四月六日       人足壱人
 
一 道橋御普請ニ付、御用向有之候間、亀田村名主方迄其
 村役人中壱人、唯今急ギ御用有之候間、早速罷出可
 成候。以上
   閏四月六日    道橋御普請掛り
               伊 藤 清次郎
    鍛次村 名主 中
  年寄
 右の通上山村、赤川村各々壱封宛、即刻上山村え継送申
 候。以上
 
一 御順見様御下向ニ付、箱館御役所より村役御呼出しニ
 付、仮(名主欠カ)六郎罷出候処、下湯川村え助人馬差出し可申旨
 御掛り白鳥孫十郎様より被仰渡候。猶又亀田村名主
 え道橋御普請懸伊藤清次郎様より則助人馬被仰渡候ニ
 付、夕方御百性壱統寄合至し、人足の儀、家別数半分壱
 組ニ至し、人足拾人村役差添下湯川村え八日より差出候
 様、其節人足昼賄米壱俵御拝借被仰付候間、人足壱人
 ニ付玄米五合宛相渡し(す)べく(き)筈被申渡候。右の通仮名主
 六郎申達候。以上
   閏四月六日
 猶又当村馬数書上の儀は五拾疋ニ至し書上申候。以上
 
一 急御用状を以申達候。然ば昨日申付候通、亀田、かち(鍛冶)村
 上山村、赤川村、下湯川村、上湯川村名主、年寄初御百
 性一同惣掛りいたし候様今日又々厳敷被仰付候間、六
 ヶ村御百性不残出し、今日より取懸り候趣被仰出
 間、今日より取掛り可申候。明日又々御奉行衆御見廻り
 被成候間、若村役人始出不申ニおゐては御奉行所付添、
 名主年寄始鍬を取らせ候様被仰候間、右様無之様取斗、
 今日より早々取懸り可申候。右廻文の趣、村役人始御百
 性えも申聞せ可申候。書役のもの共斗相心得居候ては相
 済不申候。為念依て此段申達候。以上
   閏四月七日       在 方 掛 り
亀田村 かぢ(鍛冶)村 赤川村 上山村右順達相廻し可申候。
 右廻文伊藤清次郎殿えも見せ候様可致候。何分近日中に
 出来致、御見分受申度候。右の通当村(消去アリ) 昼八ッ時至来、
 即刻上山村え継送り申候。
御用状ヲ以得貴得(意)候。然ば明朝六ッ半時より道御普請仕
候間、相達候通人足并村役人中壱人相添、下湯川村迄罷出
成候。以上
   閏四月七日
               伊 藤 清次郎
    鍛次村 名主
上山村
右の通即刻継送り申候。
   閏四月八日
 
一 人足拾人 右は道橋普請ニ付、下湯川村え助人夫差出
 し、仮名主六郎附添。
 
一 御用状申達候。然ば馬拾六疋明日御用ニ付、亀田村拾
 疋、鍛次村六疋、右の通明朝六ッ半時当所え相詰可
 候。尤有川村行ト聞候間、右の段相達し申候。以上
   閏四月七日
    亀田村 名主 年寄中
鍛次村
一 道橋御普請ニ付、下湯川村行人足拾人、組頭平蔵差添
 罷出申候。以上
   閏月九日
 
一 道橋御普請人足弐拾人、仮名主六郎添年寄重五郎、組
 頭平蔵右差添、下湯川村え相詰申候。
   閏四月十日
 
一 人夫扶持米の儀は一日に壱人前五合宛日毎ニ相渡し申
 候。
   閏四月九日より
 
一 今日より亀田村え人足拾壱人、組頭平蔵差添加勢差出
 し申候。
   閏四月十一日
 
一 馬八疋 鍛次村 右は有川村迄三斗入米附送り候間、
 其心得ニて無間違明十二日朝五ッ時当処え為相詰
 様御取斗可給候。以上
               町役所当番名主
   戌閏月十一日
     鍛次村名主
 
一 道橋普請人足拾弐人、名主代六郎差添、亀田村助勢差
 出し申候。猶又今日上山村、赤川村より御拝借米の事被
 申越、則両名主中頼合、印形差上、御拝借相願申候。
   閏月十二日
 
一 道橋普請人足廿三人、名主代六郎、組頭平蔵差添、亀
 田村加勢差出し申候。八日より今日迄九拾弐人差出し、
 為念記之。
   閏四月十三日
 
一 御足軽中壱人御用ニ付、上山村御通行ニ付、人足壱人
 差出し、此日は道橋御普請ニ付、亀田村え村中不残加勢
 至し、札番富久ニ付、書役継送り申候。
 
一 同御拝借米一俵 上山村迄御下ゲ申候間、札番壱人差
 遣し、受取申候。以上
 
廻書申進候。然ば昨日伊藤清次郎様御帰り被成候て
仰候ニは、明十六日鍛次村、上山村、赤川村え申合、亀
田村より浜迄人馬ヲ以道普請可致様被仰付候間、一ヶ村
ニ付馬拾五疋宛、人足は村中、朝五ッ時に爰元為相詰
様御手配可下候。尤元村ニは馬三拾疋、人足は不申及
皆掛り為致候様手配致置候。右の段廻書を以申進候。
   閏四月十五日
             亀田村
               名 主 所
     鍛次村
     上山村 御名主
     赤川村
 
猶々申上候。亀田村浜迄の普請ははまより砂ヲ附配る積り
ニ候得共、勿論風はき(げ)しき処に候得ば風吹度毎吹散し候て
は道の助りニも相成間敷哉ニ存候。依て当村田家、源蔵畑
地の下タ当りニジャリ有之候間、明日当方え参馬ニ右の所
よりジャリ附配り候様申附可下候。尤其御村より参が
けニ附配候様奉願上候。モッコ為持頼上候。右の段可
然様御手配可成下候。以上
   則 日
 
一 亀田村内より浜通り道普請ニ付、人足弐拾人、馬拾壱
 疋当村より加勢差出し申候。
   閏四月十六日
 
一 御用状を以申達候。然ば御巡見様来月御下向ニ付、御
 日限相究、御城下御着の上、村々人夫御城下表え詰人足
 被仰付候間、村々ニおゐて人夫名前取調、早々当御役
 所迄書上可申候。右の趣被仰出候間、近々書上可
 申候。以上
   閏四月十九日      在 方 掛
    亀田村より山付在々大野村通り一本木郷迄
    右村々役人中
 
一 御順見様御下向ニ付、亀田村より下湯川村通道普請ニ
 付、両村加勢人夫百三拾七人右の通差出し申候ニ付、為
 念記之。
   閏四月廿日
 尤本名主徳三郎殿茅部より帰郷致し申候ニ付諸御用物今
 日無滞相引渡し申候間、役印等迄無相違引出し相済申
 候。
   則 日         書役のもの取次立合
 
手紙御為知申上候。白鳥孫三(十カ)郎様兼て御病気の処、此
度養生不相叶、昨夜九ッ時御死去被罷候。此段村々御役人
中様え御知らせ申上候。以上
   閏四月廿一日 乍御面倒御用席の砌、無間違
          下村迄御ふれ奉頼上候。以上
                郷 宿
                  宗 兵 衛
    村々 名主
     亀田村より峠下村迄
 
     廻 文
                白 鳥 孫次(十)郎
一 右は病気差重り候ニ付、同人願の上在方掛り首尾能御
 免被仰付候。
                小 原 守次郎
 右は此度在方掛り仮勤被仰付候間此段相達し申候。以
 上
   戌閏四月廿九日
                在 方 掛
 亀田村 上山村 鍛次村 赤川村 大川村 七重村
 峠下村 一ノ渡村 文月村 濁川村 大野村
     右名主 年寄中
 猶枝郷有之処ハ其本村より通達可致候。