一 此度箱館不動院、当年五穀成就の御祈祷、御掛り様御
頼合ニ付、村々御修行被レ成候ニ付、当村の儀は上山村弐
村相談役上山村松之助宿ニて御祈祷有レ之、則名主代六郎
罷越、御百性惣代相勤申候。尤其節馬壱疋、人足壱人差
出し可レ申様相達し候得共、馬は無レ之、人足壱人差出し
申候。以上
閏四月朔日
当月当社御神酒代百文、名主徳三郎殿より借用仕候。
一 不動院荷物附馬弐疋、下湯川村継送り申候。
人足壱人
閏四月四日
一 高龍寺出し触書壱封并七重神主出の書状壱封
湯川村御用向 中川小膳様 小頭菊池遠江
此度御巡見様御廻村ニ付、村々末庵起立の年暦并本堂、
庫裡間数書上候様被二仰渡一候条、各村方庵の起立年暦、
建家数并間数相認、早卒当寺迄可レ被二差出一候。尤庵主ニ
年暦等不二相分一儀も可レ有レ之候条、村役、檀頭等篤と相
糺、早々可レ被二申出一候。以上
戌四月廿九日
地蔵堂(内澗町) 観音庵(在川村) 宝樹庵(茂辺地村) 光明庵(大野村) 大悲庵(市ノ渡村) 宝琳庵(七重村)
能化庵(小安村) 右庵主、檀頭中、村役中
右村々より巡達在レ之小安村能化庵え此触書可レ被二相納一
候。尤起立、間数の書面御役所より御急の由ニ候間、来
閏四月十日限ニ可二差出一候。以上
右の通下湯川村迄継送申候。以上
閏四月六日 人足壱人
一 道橋御普請ニ付、御用向有レ之候間、亀田村名主方迄其
村役人中壱人、唯今急ギ御用有レ之候間、早速罷出可レ被レ
成候。以上
閏四月六日 道橋御普請掛り
伊 藤 清次郎
鍛次村 名主 中
年寄
右の通上山村、赤川村各々壱封宛、即刻上山村え継送申
候。以上
一 御順見様御下向ニ付、箱館御役所より村役御呼出しニ
付、仮(名主欠カ)六郎罷出候処、下湯川村え助人馬差出し可レ申旨
御掛り白鳥孫十郎様より被二仰渡一候。猶又亀田村名主宅
え道橋御普請懸伊藤清次郎様より則助人馬被二仰渡一候ニ
付、夕方御百性壱統寄合至し、人足の儀、家別数半分壱
組ニ至し、人足拾人村役差添下湯川村え八日より差出候
様、其節人足昼賄米壱俵御拝借被二仰付一候間、人足壱人
ニ付玄米五合宛相渡し(す)べく(き)筈被二申渡一候。右の通仮名主
六郎申達候。以上
閏四月六日
猶又当村馬数書上の儀は五拾疋ニ至し書上申候。以上
一 急御用状を以申達候。然ば昨日申付候通、亀田、かち(鍛冶)村
上山村、赤川村、下湯川村、上湯川村名主、年寄初御百
性一同惣掛りいたし候様今日又々厳敷被二仰付一候間、六
ヶ村御百性不レ残出し、今日より取懸り候趣被二仰出一候
間、今日より取掛り可レ申候。明日又々御奉行衆御見廻り
被レ成候間、若村役人始出不レ申ニおゐては御奉行所付添、
名主年寄始鍬を取らせ候様被レ仰候間、右様無レ之様取斗、
今日より早々取懸り可レ申候。右廻文の趣、村役人始御百
性えも申聞せ可レ申候。書役のもの共斗相心得居候ては相
済不レ申候。為レ念依て此段申達候。以上
閏四月七日 在 方 掛 り
亀田村 かぢ(鍛冶)村 赤川村 上山村右順達相廻し可レ申候。
右廻文伊藤清次郎殿えも見せ候様可レ致候。何分近日中に
出来致、御見分受申度候。右の通当村(消去アリ) 昼八ッ時至来、
即刻上山村え継送り申候。
御用状ヲ以得二貴得(意)一候。然ば明朝六ッ半時より道御普請仕
候間、相達候通人足并村役人中壱人相添、下湯川村迄罷出
可レ被レ成候。以上
閏四月七日
伊 藤 清次郎
鍛次村 名主中
上山村
右の通即刻継送り申候。
閏四月八日
一 人足拾人 右は道橋普請ニ付、下湯川村え助人夫差出
し、仮名主六郎附添。
一 御用状申達候。然ば馬拾六疋明日御用ニ付、亀田村拾
疋、鍛次村六疋、右の通明朝六ッ半時当所え相詰可レ申
候。尤有川村行ト聞候間、右の段相達し申候。以上
閏四月七日
亀田村 名主 年寄中
鍛次村
一 道橋御普請ニ付、下湯川村行人足拾人、組頭平蔵差添
罷出申候。以上
閏月九日
一 道橋御普請人足弐拾人、仮名主六郎添年寄重五郎、組
頭平蔵右差添、下湯川村え相詰申候。
閏四月十日
一 人夫扶持米の儀は一日に壱人前五合宛日毎ニ相渡し申
候。
閏四月九日より
一 今日より亀田村え人足拾壱人、組頭平蔵差添加勢差出
し申候。
閏四月十一日
一 馬八疋 鍛次村 右は有川村迄三斗入米附送り候間、
其心得ニて無二間違一明十二日朝五ッ時当処え為二相詰一候
様御取斗可レ給候。以上
町役所当番名主
戌閏月十一日
鍛次村名主中
一 道橋普請人足拾弐人、名主代六郎差添、亀田村助勢差
出し申候。猶又今日上山村、赤川村より御拝借米の事被二
申越一、則両名主中頼合、印形差上、御拝借相願申候。
閏月十二日
一 道橋普請人足廿三人、名主代六郎、組頭平蔵差添、亀
田村加勢差出し申候。八日より今日迄九拾弐人差出し、
為レ念記レ之。
閏四月十三日
一 御足軽中壱人御用ニ付、上山村御通行ニ付、人足壱人
差出し、此日は道橋御普請ニ付、亀田村え村中不レ残加勢
至し、札番富久ニ付、書役継送り申候。
一 同御拝借米一俵 上山村迄御下ゲ申候間、札番壱人差
遣し、受取申候。以上
以二廻書一申進候。然ば昨日伊藤清次郎様御帰り被レ成候て
被レ仰候ニは、明十六日鍛次村、上山村、赤川村え申合、亀
田村より浜迄人馬ヲ以道普請可レ致様被二仰付一候間、一ヶ村
ニ付馬拾五疋宛、人足は村中、朝五ッ時に爰元為二相詰一候
様御手配可レ被レ下候。尤元村ニは馬三拾疋、人足は不二申及一、
皆掛り為レ致候様手配致置候。右の段廻書を以申進候。
閏四月十五日
亀田村
名 主 所
鍛次村
上山村 御名主所
赤川村
猶々申上候。亀田村浜迄の普請ははまより砂ヲ附配る積り
ニ候得共、勿論風はき(げ)しき処に候得ば風吹度毎吹散し候て
は道の助りニも相成間敷哉ニ存候。依て当村田家、源蔵畑
地の下タ当りニジャリ有レ之候間、明日当方え参馬ニ右の所
よりジャリ附配り候様申附可レ被レ下候。尤其御村より参が
けニ附配候様奉二願上一候。モッコ為レ持頼上候。右の段可レ
然様御手配可レ被二成下一候。以上
則 日
一 亀田村内より浜通り道普請ニ付、人足弐拾人、馬拾壱
疋当村より加勢差出し申候。
閏四月十六日
一 御用状を以申達候。然ば御巡見様来月御下向ニ付、御
日限相究、御城下御着の上、村々人夫御城下表え詰人足
被二仰付一候間、村々ニおゐて人夫名前取調、早々当御役
所迄書上可レ申候。右の趣被二仰出一候間、近々書上可レ被レ
申候。以上
閏四月十九日 在 方 掛
亀田村より山付在々大野村通り一本木郷迄
右村々役人中
一 御順見様御下向ニ付、亀田村より下湯川村通道普請ニ
付、両村加勢人夫百三拾七人右の通差出し申候ニ付、為レ
念記レ之。
閏四月廿日
尤本名主徳三郎殿茅部より帰郷致し申候ニ付諸御用物今
日無レ滞相引渡し申候間、役印等迄無二相違一引出し相済申
候。
則 日 書役のもの取次立合
以二手紙一御為レ知申上候。白鳥孫三(十カ)郎様兼て御病気の処、此
度養生不二相叶一、昨夜九ッ時御死去被レ罷候。此段村々御役人
中様え御知らせ申上候。以上
閏四月廿一日 乍二御面倒一御用席の砌、無二間違一峠
下村迄御ふれ奉二頼上一候。以上
郷 宿
宗 兵 衛
村々 名主様
亀田村より峠下村迄
廻 文
白 鳥 孫次(十)郎
一 右は病気差重り候ニ付、同人願の上在方掛り首尾能御
免被二仰付一候。
小 原 守次郎
右は此度在方掛り仮勤被二仰付一候間此段相達し申候。以
上
戌閏四月廿九日
在 方 掛
亀田村 上山村 鍛次村 赤川村 大川村 七重村
峠下村 一ノ渡村 文月村 濁川村 大野村
右名主 年寄中
猶枝郷有レ之処ハ其本村より通達可レ致候。