恵山汽船合資会社

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 明治34年(1901)山縣鉱山、翌35年押野鉱山は古武井の硫黄鉱山の大規模な操業を開始した。これに伴って板村助右衛門は硫黄運搬船として所有船を就航させたが、この硫黄鉱山の開坑により、下海岸一帯の貨客輸送の大幅増加を見通した谷内嘉門・浜田栄助・笹波清次郎らは、地元資本の海運会社を設立するべく発起人となり、下海岸各村の有志に呼びかけた。そして、この会社設立に賛同していた函館の海運業者、板村助右衛門(板村商船部)の所有船、渡島丸(86屯)と第一丸(42屯)の提供を受け、明治34年7月、恵山汽船合資会社を設立し営業を開始した。
 以下に恵山汽船合資会社の社員(株主)と役員の氏名を記す。
 
 〈恵山汽船合資会社社員(株主)〉
 (出資額)   ( 住   所 )         (氏 名)
 金壱千五百円  函館区弁天町二三番地        板村助右衛門
 金弐百五拾円  亀田郡戸井村字浜中一六番地     宇美 第吉
 金八百八拾円  亀田郡尻岸内村字古武井七六番地   笹波清次郎
 金百円     函館区船場町三番地         佐々木忠兵衛
 金百円     亀田郡尻岸内村字澗二九番地     谷口 嘉門
 金百円     亀田郡尻岸内村字根田内四二番地   笹田 玉蔵
 金百円     亀田郡尻岸内村字澗一二番地     浜田 栄助
 金百円     亀田郡尻岸内村字日浦五六番地    東 助五郎
 金百円     亀田郡戸井村字原木番外地      二瓶 喜宗治
 金百円     亀田郡尻岸内村字日浦二六番地    松本 総助
 金百円     亀田郡戸井村字汐首一八番地     巽 石次郎
 金弐拾五円   亀田郡椴法華村字恵山一番地     辻田 整一
 金五拾円    亀田郡尻岸内村字根田内一五番地   南 勇次郎
 金弐拾五円   亀田郡尻岸内村字根田内一三番地   佐々木音右衛門
 金五拾円    亀田郡尻岸内村字根田内二八番地   梅津 友八
 金弐拾五円   亀田郡尻岸内村字根田内三七番地   森清右衛門
 金弐拾五円   亀田郡尻岸内村字根田内四五番地   高谷 スイ
 金弐拾五円   亀田郡尻岸内村字古武井一〇一番地  福沢寅吉
 金拾円     亀田郡尻岸内村字根田内一二番地   福沢松之助
 金五拾円    亀田郡尻岸内村字古武井三六番地   渡辺 忠吉
 金弐拾五円   亀田郡尻岸内村字古武井一〇五番地  成田文次郎
 金五円     亀田郡尻岸内村字古武井番外地    安田伊三郎
 金拾円     亀田郡尻岸内村字古武井六番地    鎌中吉五郎
 金拾円     亀田郡尻岸内村字古武井二一番地   大島菊次郎
 金五円     亀田郡尻岸内村字澗一七番地     野呂 丑松
 金弐拾五円   亀田郡尻岸内村字澗一九番地     高橋常之助
 金五拾円    亀田郡尻岸内村字女那川五七番地   梅津丑次郎
 金拾五円    亀田郡尻岸内村字武井一二番地   三上 長作
 金拾円     記載なし              横山 為吉
 金拾五円    亀田郡尻岸内村字武井三七番地   竹内金太郎
 金拾円     亀田郡尻岸内村字武井一六番地   水島吉郎兵衛
 金拾五円    亀田郡尻岸内村字武井三五番地   柏谷 常吉
 金拾円     亀田郡尻岸内村字日浦一一〇番地   山田  司
 金五円     亀田郡戸井村字鎌歌四五番地     佐々木亀蔵
 金拾円     亀田郡戸井村字原木四番地      藤本栄太郎
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字原木一六番地     永川 玉吉
 金五円     亀田郡戸井村字原木一一番地     宇美甚太郎
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字鎌歌番外地      長尾 礎治
 金五円     亀田郡戸井村字原木二六番地     佐々木岩次
 金五円     亀田郡戸井村字鎌歌四七番地     佐々木政蔵
 金五円     亀田郡戸井村字蛯子川一番地     吉田宇源太
 金五円     亀田郡戸井村字館鼻一九番地     石澤 長助
 金五円     亀田郡戸井村字瀬田来番外地     長崎 省一
 金五拾円    亀田郡戸井村字館鼻一九番地     中尾富次郎
 金五円     亀田郡戸井村字浜中一一四番地    阿部 玉吉
 金拾円     亀田郡戸井村字鎌歌番外地      寺田 勇吉
 金拾五円    亀田郡戸井村字館鼻一八番地     加藤傳之助
 金弐拾円    亀田郡戸井村字館鼻五〇番地     長谷川重成
 金拾円     亀田郡戸井村字浜中一一〇番地    山崎石太郎
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字浜中七一番地     伊藤 由松
 金五拾円    亀田郡戸井村字館鼻四番地      岡本 林弥
 金五円     記載なし              松野三九郎
 金拾五円    亀田郡戸井村字館鼻番外地      寺西 大宣
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字弁財澗六五番地    石島 総助
 金五拾円    亀田郡戸井村字弁財澗五九番地    池田 金作
 金拾円     亀田郡戸井村字弁財澗番外地     渡辺 勝磨
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字弁財澗一四番地    足達健次郎
 金百円     亀田郡戸井村字瀬田来四八番地    小柳吉太郎
 金七拾五円   亀田郡戸井村字瀬田来三九番地    吉崎 力松
 金拾円     亀田郡戸井村字瀬田来四四番地    石田 玉蔵
 金弐拾五円   記載なし              櫻井 基一
 金弐拾円    亀田郡戸井村字汐首番外地      沼沢 由松
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字汐首二三番地     佐藤 兼蔵
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字汐首一一番地     境 吉三郎
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字汐首四〇番地     木田勝太郎
 金弐拾五円   亀田郡戸井村字汐首五〇番地     奥野 兼蔵
 金拾円     亀田郡戸井村字汐首六一番地     鈴木 末吉
 金五拾円    函館区海岸町            小刀根善吉
 金五拾円    亀田郡戸井村字汐首六九番地     巽  石蔵
 
 明治34年7月21日、恵山汽船合資会社は設立総会を開催し役員を選出する。
 
〈役員〉頭 取  宇美 第吉(社員)  戸井村字浜中一六番地
    取 締  巽  石蔵(同右)  戸井村字汐首一八番地
     〃   小柳吉太郎(同右)  戸井村字瀬田来四八番地
     〃   二瓶喜宗治(同右)  戸井村字原木番外地
     〃   藤本栄太郎(同右)  戸井村字原木四番地
     〃   東 助五郎(同右)  尻岸内村字日浦五六番地
     〃   浜田 栄助(同右)  尻岸内村字澗一二番地
     〃   笹波清次郎(同右)  尻岸内村字古武井七六番地
     〃   南 勇次郎(同右)  尻岸内村字根田内一五番地
     〃   板村助右衛門(船主) 函館区弁天町二三番地
    監査役  北川 貞次(社外)  函館区
     〃   谷内 嘉門(社員)  尻岸内村字澗二九番地
 
 恵山汽船合資会社の設立にあたり戸井村の住民36人、尻岸内村26人、椴法華村1人、合計63人もの人達が出資した。それだけ、この事業に対する地元の期待の大きかったことが窺えるし、また、それを支える下海岸一帯の産業の発展、特に毎年のようにイワシが群来し何カ統もの鰛定置網が入り、鰛粕は、東北地方の水田の拡大と相補(あいま)って夜を徹しての生産が続き、イワシ御殿と呼ばれた邸宅が建ったとも語り継がれている。加えて一時は東洋一の生産量を誇った古武井硫黄鉱山の操業が、海運の盛況を押し上げていたことも確かである。このような海運業の盛況の中で、大正期、尻岸内村でも続々と回漕店(海運業)の経営に乗り出す人達が現れた。
 このことについて、大正4年(1915)の尻岸内村の文書には、日浦の松本回漕店(経営者松本専太郎)、武井の松本出張店(代理経営者北村金助)同じく中里回漕店(経営者中里平作)、大澗の野呂回漕店(経営者野呂斧右エ門)、女那川の柳本回漕店(経営者柳本三郎)、古武井の共同回漕店(代表者の記載なし)、根田内の高谷回漕店(経営者高谷)と記されており、大正7年(1918)の文書には、古武井の共同回漕店が字古武井の経営となって「古武井回漕店」に改称。また、同9年には、大澗の野呂回漕店は経営を字尻岸内に移し「尻岸内共同回漕店」と改称した、と記されている。
 前出の尻岸内各港の乗客と貨物の状況でも記したが、明治中ごろからの海運事業の盛況も大正7年(1918)の古武井鉱山の閉山後陰りがみえてくる。大正8・9・10年は鱈の好漁、同11年からの鰛の大漁に根田内、日浦の一時的な賑わいがあったものの、小規模の回漕店では経営が成り立たず、恵山汽船も大正11年(1922)、函青汽船株式会社と合併し「東運機舩株式会社」を設立している(尻岸内町史)。
 以下に、この東運機舩株式会社の登記簿より記載事項を記す。
 
 商 号 『東運機舩株式会社』
 本 店 亀田郡尻岸内村字澗四番地の一
 目 的 沿岸航路の海運業及び之れに付帯する一切の業務
 設 立 大正十一年(一九二二年)十月二十四日
 登 記 同年十一月六日
 資本金 壱万円 一株金額 五拾円
    (各株に付き払込み株金額 弐拾円五拾銭)
 役 員 取締役(社長) 東  吉藏 亀田郡尻岸内村字日浦五六番地
     取締役     赤井幸之助 亀田郡尻岸内村字澗二九番地
      〃      東  島藏 亀田郡尻岸内村字日浦三六番地
      〃      湊  文治 亀田郡尻岸内村字澗七五番地
      〃      種田榮太郎 亀田郡尻岸内村字武井二〇番地
      〃      梶村由太郎 亀田郡尻岸内村字澗六番地
      〃      山内 繁三 亀田郡尻岸内村字澗七六番地
      〃      玉井長次郎 亀田郡尻岸内村字澗二三番地
     監査役     若山常太郎 亀田郡尻岸内村字日浦五二番地
      〃      柳本 三郎 亀田郡尻岸内村字女那川五九番地
 解 散 株主総会の決議により昭和八年三月二十五日解散。
 登 記 同年四月四日