次に掲げる個人の資料はいずれも明治時代以後に記されたものを元にしたものが多く、歴史資料としてはやや正確さに欠ける面が見られるが、このように云い伝えられているという意味で記してみたい。
・故飯田與五左衛門事跡
明暦元年(一六五五)今ノ茅部郡砂原村ニ移住シ夥多ノ資金ヲ抛チ漁業ニ從事ス與五左エ門一日海岸ヲ経歴シ土人ノ漁事ヲ視ルニ尾札部近海ヤキノ澗ト唱フル漁場アリ鰮魚群集蝦夷人競フテ之ヲ漁ス恰モ児戯ノ如シ於是以為ラク漁産ノ富饒斯クノ如ク他日ノ洪益ヲ期スベシト遂ニ意ヲ決シ居ヲ尾札部ニ移シ現住蝦夷人ヲ撫育シ直ニ會所ヲ設ク当時此地ハ蝦夷人几弐百五六拾人居住セシノミ内地ヨリ移ルモノ與五左エ門ヲ始トス乃チ鰯引網ヲ下シ或ハ鱈ヲ釣リ昆布ヲ採收スル等土人ヲ使役シ海産ノ増殖ヲ図ル
同所別項には「初代與五左エ門、明暦元年鰯曳網壱統、鰯收獲高、網壱統ニ付壱ヶ所六百石」の記事あり。
・故小川幸吉事蹟調書
当時〓臼尻灣内ニ鰮魚ノ麕集スルヲ見文化三年(一八〇六)始テ鰯〓(網)ヲ製シ仝村臼尻ニ鰯魚場ヲ開鑿シ更ニ漁夫ヲ傭ヒ拮据該業ニ従事スル。
・尻岸内町史
享和元年(一八〇一)九月野呂平四郎が曳網を用いて鰮漁をしたというのが尻岸内村での鰮漁業の最初であった。
また『北海道漁業史』によれば、寛政年間(一七八九~一八〇一)には、箱館・内浦湾・日高地方にまで広まっていたと記されており、以上記してきたことから考え、椴法華地方でもほぼ寛政年間から鰯漁が行われたものと推定される。