覚王寺の前身は、往昔、木直にあったものがのち臼尻に遷されたものであると伝えきく説もあるが、これについては、曹洞宗(禅宗)普及の過程のこととして否定はされないが、確たる証はない。
往昔、浄土宗の信徒はこの地に一寺なく、葬儀、法要には、恵山の豊国寺の和尚に下がってもらっていた、と称念寺の記録にある。
浄土宗一寺創建願
渡島国茅部郡臼尻・熊泊・尾札部右三ヶ村ニ本宗寺院無之。菩提所函館称名寺迄ハ遠隔ノ地ニテ教示不容易。殊ニ信徒モ多分ニ有之執葬等ノ節ハ従来称名寺末根田内村豊国寺ヘ依頼候得共、何分嶮路遠隔ノ地ニテ風雨積雪ノ際ハ容易ニ通路難相成、況テ(ヤ)函館ヘ八里程九里余ニテ啻ニ往復ノ日数ヲ費シ、彼是困難不尠(以下略)
覚王寺木直説も同様、下海岸からの僧侶の往来の過程で伝わった話であると思われる。
安浦の精進川にまつわる僧侶と寺屋敷の伝説も、確たる記録はないが、仏教の蝦夷地布教を人びとに伝える挿話と解することができる。
古くからの神仏混淆の示すように龍宮庵、弁天社、金毘羅講などの名で、漁村の海上安全の信仰ともあいまって永い間のなかで多くの信徒の帰依するところとなってきたものである。
昔は、死者がでても、寺もなく僧侶も在村していなかったので、戒名をつけてもらうことができなかった。
臼尻村役場跡に古く存在した墓地にあった「三之助墓」(この墓石は現在龍王寺本堂裏に所蔵されている)という俗名の墓石があるのはそのためであろうか。
函館の東本願寺の前身である浄玄寺の文化文政の過去帳にも、臼尻村・熊泊村の者が亡くなった家族のために、後日、戒名のみを授けてもらっている記録が処処にみうけられた。
昔は死者が出ると、近親者のみで野辺の送りをすませ、のち、箱館のお寺か近村のお寺に使して、戒名を授けてもらったものもあった。
文化八「三之助 墓」龍王寺