中新世という時代

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地球史の最も新しい時代である新生代は六五〇〇万年間続いているが、その大部分は第三紀(六五〇〇万年前から一六四万年前まで)と呼ばれる地質時代で占められている。第三紀はさらに前半の古第三紀と後半の新第三紀に区分される。古第三紀の地層の分布域は我が国では非常に限られていて、弘前に最も近い所では、岩手県北部の野田村から久慈市にかけて露出する野田層群がある。
 新第三紀以降の地層青森県内の各所でみることができ、それ以前の地質時代の地層に比べると時代的に欠損が少なく、地層中に保存されたさまざまな記録を基に比較的詳しい時代の様子が復元できる。中新世という地質時代は新第三紀の前半にあたり、二三三〇万年前から五二〇万年前までの時期である。中新世の中頃には日本海が誕生したと考えられており、また、遠く離れたアフリカ東部では、同じころ、地球規模で起きた気候変化によってサバンナが出現し、霊長類のあるグループが樹上生活から二足歩行を始め、猿人類が進化するきっかけができた時期でもある。
 日本海としてくぼ地が拡大を開始するときには、現在我々が身近に経験する火山の活動からは想像がつかないような、激しい噴火活動が広い範囲に起こり、しかも長期間続いた。これは当時のアジア大陸の東縁に沿って帯状の大きな裂け目ができ、そこへ地下から大量のマグマが上昇してきたためである。地上には大量の溶岩があふれ出したばかりか、同時に放出された火山灰が降り積もって凝灰岩となり、溶岩と凝灰岩が繰り返し積み重なって地上を厚く覆いつくし、湖や沼などの水域も、このような火山からの噴出物で埋め立てられた。
 稲刈沢川の谷頭付近を通る林道の脇の露頭では、アズキ色をした凝灰角岩がみられる。火山灰が堆積してできた凝灰岩の中に、大小の溶岩のかけらが大量に含まれており、溶岩のかけらの部分はより硬く、風化に強いので、露頭の表面に浮き出てごつごつした表面を作っている。青森県に限らず日本海に面した地域では、中新世の中頃の地層にはこのような大量の溶岩や凝灰岩、凝灰角岩からなる厚い堆積物がみられる。このような火山灰や溶岩のかけらが大量に集積した、火山活動に由来する変化に富んだ堆積物はどのようにして形成されたのだろうか。