図51 津軽地域における花こう岩類の分布するところ。
(藤本,1989を一部改変して使用)
花こう岩はおもに石英やカリ長石、斜長石(これらを無色鉱物という)からなり、雲母や角閃石(かくせんせき)(これらを有色鉱物という)などの鉱物を伴っている。マグマが地下でゆっくり冷えて固まってできたために、ガラスが含まれず、石英や長石類の鉱物粒子の大きさがそろっているので、完晶質で等粒状組織と表現される。また硬く、しかも美しい石材なので、古くから建物の壁材や床材、そして石像、石柱などの建造物や道路の割石として広く用いられている。花こう岩は国内ではよくみられる岩石であるが、白神岳花こう岩体は特に鉱物組成の特徴に基づくと、八戸市南方の階上(はしかみ)岳や北上山地にみられるものよりは、阿武隈山地や秋田市近郊の太平山(たいへいざん)に分布する花こう岩によく似ているとされ、年代学的にも近い値を示している。
これら火成岩については、放射性同位体を使うとそれぞれの火成岩がマグマから固結した時(生成年代)から、現在までにどのくらいの時間が経過しているかを計算で求めることができる。そのようにして得られた年代値を放射年代と呼ぶ。そのような方法で弘前市の近くにみられる花こう岩や白神山地域の花こう岩の年代測定を行うと、その値は場所ごとに少しずつ異なるが、だいたい六三〇〇万年前から九八〇〇万年前の範囲に収まる。これは暁新世から白亜紀の末期に当たる(表11)。同じころ東北地方では阿武隈山地や太平山の地下に大量の花こう岩ができていた。
花こう岩は一般に地下十数キロメートルより浅い所でゆっくり冷えて固結してできた岩石で(久城ほか、一九八九)、深成岩と呼ばれるグループに入る岩石である。その花こう岩が地表でみられるということは、地下でマグマから固結した後に、十数キロメートルも地中を上昇してきたことを意味している。花こう岩類が地下深部から地殻変動を受けて上昇すると、元々その上位にあった地層や岩石は、その上昇の過程で削り取られた、と考えられる。そして削られてできた砂や泥や礫は運び去られ、周辺のくぼ地へ堆積する。
白神山地の地下深くに形成された花こう岩が隆起を続けた結果、中新世の前期には地表へ顔を出しており、その一部は山地を形成し、長い間浸食にさらされていたと推定される。その証拠に、現在花こう岩が露出している周辺に分布している中新世に堆積した砂岩や礫岩の地層中には、花こう岩の礫がよく含まれている。