調査された館

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「館(たて)」の名称や性格そして出自についてはいろいろな説があるが、「楯(たて)」という防御的機能と「館(たち)」という政庁的な機能、さらに地域の経済的拠点としての性格を有する施設であると推定されている。
 また城館の構築が、開発行為や軍事的関係と表裏一体の関係にあることはいうまでもない。ただ文献上から城館主を特定できる城館が少ないことも事実である。
 弘前市域では現在まで五〇ヵ所の中世城館が確認されており、中崎館をはじめ石川城(楯)(写真178)・福村城(写真179)・小友館・荼毘(だび)館・独狐(とっこ)館・境関館堀越城・出間(でま)館・鷹ヶ岡城乳井茶臼館などで発掘調査を実施している。

写真178 石川城跡航空写真


写真179 福村城跡航空写真

 しかしながら、発掘面積は少なく、明確に中世段階の生活痕を確認した調査は、中崎館・荼毘館・独狐館・境関館石川城堀越城福村城の七遺跡である。