曹洞宗盛雲(せいうん)院(現市内西茂森一丁目)隠居、海中(かいちゅう)の弟子である義道(ぎどう)は、天保十四年(一八四三)五月に津軽家の菩提寺で、曹洞宗僧録所の長勝寺(ちょうしょうじ)(現市内西茂森一丁目)から初代藩主津軽為信(ためのぶ)の位牌を隠し取った。彼は長勝寺の副司のポストにつく栄進を望み、現副司龍道(りゅうどう)の陥れを謀ったのである。位牌の中でも初代藩主のそれを盗むことは、僧侶にあるまじき行為として厳罰に処せられるべく、牢屋前で御徒目付より斬罪を申し渡されたのであった(同前天保十四年十二月九日条)。