江戸~弘前間の往復に必要とした日数について二、三例を挙げると、
○四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)の参勤は、寛文六年(一六六六)三月九日に弘前出発、江戸到着には一八日間。
○七代藩主信寧(のぶやす)は宝暦九年(一七五九)三月十五日に弘前出発、江戸到着には一九日間。
○七代藩主信寧の交代(帰国)は、明和五年(一七六八)四月二十一日に江戸出発、弘前到着は五月八日で一八日間。
このように三週間に近い日数を要したのである。
次に通路であるが、領内をみると、江戸時代初期には弘前を出発し、西海岸の鰺ヶ沢を経て大間越(おおまごし)(現西津軽郡岩崎村)から隣藩の秋田領に入った。帰路、秋田領から津軽領に入る際は矢立峠(やたてとうげ)を越え碇ヶ関(いかりがせき)(現南津軽郡碇ヶ関村)を北上して弘前へ到着する道筋(羽州街道(うしゅうかいどう))は、四代信政が寛文五年に帰国するときに利用しており、このときが参勤交代に利用した最初である。
図106.津軽弘前藩の参勤交代通路
江戸~弘前間の羽州街道の宿駅を示すと図107のようになる(『津軽史事典』一九九七年 名著出版刊)。
図107.羽州街道(小坂通江戸道中)の参勤交代通路