時期・日数・通路

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津軽弘前藩の参勤交代の時期は弘前城を出発するのが三月に多く、文化四年(一八〇七)以降になると、四・八・九・十月というように一定しなくなる。江戸から弘前城へ到着するのは五月と六月が多く、文化三年以後は四月が比較的多いが、三・五・七・八・九・十月にもあり一定していない。
 江戸~弘前間の往復に必要とした日数について二、三例を挙げると、
 ○四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)の参勤は、寛文六年(一六六六)三月九日に弘前出発、江戸到着には一八日間。
 ○七代藩主信寧(のぶやす)は宝暦九年(一七五九)三月十五日に弘前出発、江戸到着には一九日間。
 ○七代藩主信寧の交代(帰国)は、明和五年(一七六八)四月二十一日に江戸出発、弘前到着は五月八日で一八日間。
 このように三週間に近い日数を要したのである。
 次に通路であるが、領内をみると、江戸時代初期には弘前を出発し、西海岸の鰺ヶ沢を経て大間越(おおまごし)(現西津軽郡岩崎村)から隣藩の秋田領に入った。帰路、秋田領から津軽領に入る際は矢立峠(やたてとうげ)を越え碇ヶ関(いかりがせき)(現南津軽郡碇ヶ関村)を北上して弘前へ到着する道筋(羽州街道(うしゅうかいどう))は、四代信政が寛文五年に帰国するときに利しており、このときが参勤交代に利した最初である。

図106.津軽弘前藩の参勤交代通路

 江戸~弘前間の羽州街道の宿駅を示すと図107のようになる(『津軽史事典』一九九七年 名著出版刊)。

図107.羽州街道(小坂通江戸道中)の参勤交代通路