東照宮は、信枚の正室
満天姫が
徳川家康の養女であったことから、寛永元年(一六二四)、
天守閣の近くに建立され、
江戸常福寺本祐を
別当にした。同四年、
天守閣が雷火により焼失すると、
東照宮も被害を受けたらしく、同五年に現在地へ再建され、
別当薬王院、塔頭六院が置かれ、桃井氏・山辺氏が
神主となった。享和三年(一八〇三)の「
寺社領分限帳」には、宝物として信枚寄進の天海筆の東照権現三所像・
東照宮名号、信政寄進の天海筆東照権現御影がみえる。
神仏分離により
薬王院から分離し、明治十二年(一八七九)郷社、同十四年県社となった。
図230.東照宮