鬼沢小学開校と「村落小学」

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明治九年六月七日、津軽郡(つがるごおり)鬼沢村に「鬼沢小学」が開校された(九年当時の行政画は大区小区制で、津軽一円は単に津軽郡(ごおり)とされていた。十一年十月大区小区制廃止、「郡制」施行により、津軽郡は東西南北中五郡となり、弘前を含む中津軽郡が誕生した。以下の記述は郡制施行以前だが、便宜上中津軽郡を使用する)。
 鬼沢小学中津軽郡で二番目に早く設置された小学である。ちなみに、最も早いのは同郡村市村(現西目屋村)「村市小学」と砂子瀬村(現西目屋村)「砂子瀬小学」で、九年五月十日の同日に開校している。鬼沢小学は同村の民家を借用して教室に充て、教師一人、生徒男子のみ五〇人、授業料三銭で発足し、鬼沢、楢木を通学区域とした。学制第二五章に村落小学の規定があり、「村落小学ハ僻遠ノ村落農民ノミアリテ、教化素(もと)ヨリ開ケザルノ地ニ於テ、其(その)教則を少シク略シテ教フルモノナリ、或(あるい)ハ年已(すで)ニ成長スルモノ其(その)生業ノ暇(いとま)来リテ学バシム是等ハ多ク夜学校タルベシ」となっていて、鬼沢小学はこの規定に則り発足した。
 これまでの政府や県による、度(たび)重なる学事奨励が実を結んだものか、あるいは身近にある鬼沢村の小学創設が刺激となったものか、九年六月以後、中津軽郡内に鬼沢を含めて三五校が設置された。いずれも校舎は民家の借用であるが、ただ独狐小学のみは新築公有となっている。表17に、後に弘前市に合併し弘前市立となった小学を列挙する。
表17 中津軽郡各小学
名 称地 名設立年新築
旧屋
公有
借用
教 員生 徒授業料備   考
百田小学陸奥国津軽郡百田村明治九年民家借用五一現城東小学校の前身
川田小学陸奥国津軽郡清野袋村三二後に養正小、昭和三十五年時敏小に合併
木別小学同 向外瀬村四一右に同じ
西田小学同 撫牛子村四四現城東小学校の前身
小沢小学同 小沢村同九月十九日四二小沢小学
青柳小学同 下湯口村同八月二十三日六二青柳小学
富田小学同 堅田村四六後に進修小、昭和十四年和徳小に合併
知新小学同 福村同十月三十日四〇現福村小学校
外崎小学同 外崎村同九月九日五五現豊田小学校
門外小学同 門外村八二後に隆親小学校
現堀越小学校
清水森小学同 清水森村同九月八日二〇現千年小学校の前身
磨光小学同 松木平村同九月九日五〇現千年小学校の前身
大和沢小学同 大和沢村同九月四日三二大和沢小学
桜庭小学同 国吉村同七月六二現東目屋小学校
番館小学同 中畑村同七月二九明治二十二年廃校
学区庭小へ編入
藤代小学同 藤代村同六月一二〇致遠小学校
三世寺小学同 三世寺村三二現三省小学校
種市小学同 青女子村三〇現新和小学校
小友小学同 小友村三五小友小学
川村小学同 三和村同十一月二一三和小学
鼻和小学同 鼻和村七〇現船沢小学校
独狐小学同 独狐村新築公有七〇高杉小学校の前身
高杉小学同 高杉村民家借用四六一七高杉小学校の前身
鬼沢小学同 鬼沢村同六月七日五〇自得小学校
大森小学同 貝沢村同十二月十一日二〇現草薙小学校
ならびに小友小学
(注)備考は読者の便宜上、筆者が書き加えたものである。明治九年『文部省年報』の青森県公立小学校表による。