第五十九国立銀行の普通銀行への転換

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明治十六年(一八八三)、国立銀行条例の改正により、営業年限が満期の二〇年を超えた国立銀行は営業を継続する場合、普通銀行に転換することとなり、また、これまで発行していた銀行紙幣は営業年限内に償却しなければならなくなった。次の史料は、第五十九銀行が明治末に作成した『当銀行誌材料書類』に記録されている、普通銀行転換に際して明治三十年五月二日に開催された臨時総会における議論である。
弘前長勝寺に於て臨時総会を開きたるは、去る四月十八日に於て大体を可決せられたる満期前私立銀行となり、定款を改正し、営業を継続せんと欲するにあり、其確定議を要する事由を菊池議長より演術して討議を求めしに、前田彦市は満期の場合を待つて継続せんとの意見、且資本五十万円を以て足れり、実際の景況を認めたる以上、猶、必用と感したるときは、又々増資するに難からすとて、詳細なる建議書提出したり、之れを起立に問ふに、小数なるより消滅に帰し
山内金三郎は、師団設置以来金融状況を視、将来の隆盛を計り、資本金七十万円とあるを百万円と致したしと動議を起し、同意あるを以て之を起立に問ひしに、小数故に消滅に帰したり
又三浦深造は取締役五名とある原案を三名と修正論を主張し、之を起立に問ふに大多数なるを以て三名の修正説に決したり
田中耕一は、積立金より八千円を減し、十六万円とあるを十六万八千円とし、四万円とあるを四万二千円とし、又二十円の払込を二十一円とせんと修正説を提出し、之を起立に問ふに大多数なるを以て田中の修正説に決したり
右の外原案之通り可決確定議を終了して退散せり
(『青森県史』資料編近現代2、青森県、二〇〇三年)

 資本金は原案の七十万円に対し、五十万円で足りるという意見や、百万円まで増資した方がよいとの意見が出されているが、結局、原案どおりで可決している。また、取締役の人数は原案五名に対し、三名の修正意見が出され、多数決で三名と決まった。
 こうして第五十九国立銀行は、国立銀行営業満期前特別処分法によって、営業満期の明治三十二年を待たず、三十年九月一日、資本金七十万円の株式会社第五十九銀行として新発足することになった。

写真94 第五十九銀行本店