写真105 玉成高等小学校校舎
新築校舎は弘前市下白銀町二〇番地(現弘前中央高校敷地)に建てられ、設立者は中津軽郡清水村、高杉村、大浦村(現岩木町)、藤代村、相馬村、岩木村・駒越村(ともに現岩木町)、千年村、堀越村、豊田村、和徳村の一一ヵ村が学校組合を設立して設置したもので、県内における最も大規模な組合立小学校として、教育界の注目を集めた。学校組合は会議を開いて、校名を「清水村外十ヵ村組合立玉成高等小学校」と命名した。
玉成高等小学校は、三十五年十一月から農業科を加えて実習に重きを置き、近代的な農業の体得を目指した教育は、玉成教育といわれ、独得の校風を作って県教育界の注目を集めた。しかし、玉成高等小学校の最大の功績は、中津軽郡各村の連帯意識を昂揚したことであった。同校は学校組合に加入していない村の子弟でも、二倍の授業料を納める条件で入学を許可した。そのため同校卒業者は多く中津軽郡各村に居住し、郡内各村は学校を中心に強く結ばれた。この同窓生意識は、農村特有の部落根性の打破につながり、中津軽郡各村には他郡に見られない相互の理解と協力が生まれた。玉成高等小学校は三十二年(一八九九)四月一日の創立の日から昭和二十二年(一九四七)三月まで続き、戦後の六・三制実施によって廃止された。