連隊区の廃止

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青森県には第五・第三一・第五二の三連隊があり、青森と弘前に管内の徴兵事務を行う連隊があった。だが軍縮政策によって五二連隊が解散した同年、弘前連隊区が廃止され青森連隊区に統合された。この動きは全国的なものであり、軍縮政策の結果、一県一連隊制となり、行政機構的にも事務的な便宜をもつことになった。
 一方、五二連隊が廃止され、その跡地に三一連隊が移転したことで、弘前市当局は旧三一連隊兵舎の敷地を市に無償で払い下げてもらえるよう請願している。大正十四年十月十五日、弘前市長石郷岡文吉は、軍縮を実施した宇垣陸相宛に請願書を提出した。請願書には軍隊のもたらす経済的効果に言及しながらも、旧三一連隊兵舎の敷地を有効活用したい弘前市の要望が記されていた。敷地に対しても「市街住宅地ニ供用スヘキ必要」があるが、「現下ノ急務トシテハ体育奨励上、運動場ノ狭隘」から、一部を市民の運動場として活用したいと切実に訴えていた(資料近・現代1No.六〇六参照)。
 県庁を奪われ政治的位置づけを失い、さしたる生産的都市機能をもたない弘前市にとって、第八師団の設置は政治的にも経済的にも重要な選択だった。市が財政的に無理をしてまでも敷地を献納してきたのは、師団が設置されることで、その莫大な軍事消費経済の効果を見込んでいたからにほかならない。だが平時に膨大な組織と規模を誇る一つの師団が集中していることは、市の敷地の相当な部分を軍事施設に奪われることを意味する。市長の請願書は、部隊があることによる経済的効果よりも、軍隊施設の余剰分を市が活用したい点が強調されていた。弘前市は第八師団管下の諸軍事施設から、相当な経済的恩恵を受けてきた。しかし同時に市域の重要な部分が軍事施設であるため、市民の社会生活基盤が圧迫されていたのである。軍都弘前のもう一つの側面が、兵舎無償交付の動きに示されていたことがわかるだろう。