意見書
一、金融機関救済に関する件
理由
本県本年の米作は大正二年以来の大凶作に際回し、農民は食ふに食なく、加ふるに本県下に於ける最大の資本を擁する株式会社第五十九銀行を始め、有力なる三、四の銀行は已に閉店し、其の他の銀行と雖も資金枯渇し、為に県内外に於ける各種の取引関係は全く杜絶し、産業は破壊せられ、金融逼塞し、県民は生活の資は勿論、納税資金にも窮乏し、各種団体は融資の途絶に其の行政機能を中絶するの止むなきに達し、其実状真に惨憺たるものあり、之を等閑に付せんや其の推移する所、洵に憂慮に堪へす、県民は実に悲愴なる不安に駆られて、其の対策の一日も速に確立せられんことを翹望しつゝあり、依て、政府知事は速に県民の要望を容れ、金二千万円の融資の途を講し、経済界の救済と共に凶作救済の諸施設に対し之か目的達成の途を講せられむことを懇望す
右府県制第四十四条に依り意見書を呈す
昭和六年十二月三日
県会議長
内閣総理大臣
内務大臣
大蔵大臣
農林大臣
商工大臣
青森県知事
一、金融機関救済に関する件
理由
本県本年の米作は大正二年以来の大凶作に際回し、農民は食ふに食なく、加ふるに本県下に於ける最大の資本を擁する株式会社第五十九銀行を始め、有力なる三、四の銀行は已に閉店し、其の他の銀行と雖も資金枯渇し、為に県内外に於ける各種の取引関係は全く杜絶し、産業は破壊せられ、金融逼塞し、県民は生活の資は勿論、納税資金にも窮乏し、各種団体は融資の途絶に其の行政機能を中絶するの止むなきに達し、其実状真に惨憺たるものあり、之を等閑に付せんや其の推移する所、洵に憂慮に堪へす、県民は実に悲愴なる不安に駆られて、其の対策の一日も速に確立せられんことを翹望しつゝあり、依て、政府知事は速に県民の要望を容れ、金二千万円の融資の途を講し、経済界の救済と共に凶作救済の諸施設に対し之か目的達成の途を講せられむことを懇望す
右府県制第四十四条に依り意見書を呈す
昭和六年十二月三日
県会議長
内閣総理大臣
内務大臣
大蔵大臣
農林大臣
商工大臣
青森県知事
(資料近・現代2No.一八四)
十二月三日以降の挙県一致した大がかりな陳情運動が功を奏し、最終的に昭和七年四月九日、政府は県債五〇〇万円の起債を許可した。なお、起債許可までの経過は表10のとおりである。
表10 金融機関救済のための県債500万円記載に関する新聞記事見出し | |||
年月日付 | 見 出 し | 新聞 | |
昭6 | 12.22 | 金融回復につき、政府に救済陳情 商工業者連合協議 | 弘前 |
昭7 | 1.19 | 県債千五百万円の許可促進運動を開始す 銀行代表者、知事と協力し、県会委員の上京を促す | 東奥 |
1.21 | 一千万円に査定し、県債近く許可の模様 内務部長理財局訪問、陳情は順調に進む | 〃 | |
1.25 | 五百万円の県債は最近許可となる 書類は内務省から大蔵省へ | 〃 | |
1.26 | 県債五百万円閣議で許可に決す 岩手県も同額県債許可 | 〃 | |
2.6 | 県債五百万円五日正式許可さる 生命保険協会から借り受くべく安田主事交渉中 | 〃 | |
3.20 | 県債五百万円最後の決定を見る 二十一日銀行重役と懇談して参事会に諮り、知事再び上京 | 〃 | |
4.10 | 県債の借入れは今月中に実現可能 昨日、起債手続き完了し、現金の到達を待つ | 弘前 | |
4.16 | 五百万円貸付規程委員顔触定まる 尚、委員は関係方面へ交渉中 | 東奥 | |
4.27 | 五百万円の貸付方針を協議 県と銀行団側打合 | 〃 | |
5.5 | 自作農創設の借入申込漸く続出 県商工課に於て区分調査 | 弘前 | |
6.29 | 県債五百万円の貸付全部完了す 昨日、第五回貸付委員会で最後の貸付決定 | 〃 | |
前掲「昭和初期の青森県における金融機関の動向について」 | |||
注) 新聞の「東奥」は『東奥日報』、「弘前」は『弘前新聞』を指す。 |
県債五〇〇万円の内訳は、旧債借替資金三三二万七八〇〇円と自作農創設資金一六七万二二〇〇円から成り立っていた。前者は銀行が所持している不動産抵当債権を県が肩代わりするものであり、後者は銀行が地主に対して設定していた不動産抵当貸付金を分割し、県がこれに応じる金額を小作農に貸し付けて、小作農にその抵当となっている地主の農地を買い入れさせ、自作農にするという方法であった。前者の場合はもちろん、後者の場合でも小作農の土地購入代金は地主の手に渡った後、銀行に返済され、五〇〇万円の県債はすべて現金で銀行に入るようになっており、銀行の支払い準備金を潤し、銀行救済に役立った。これは県債資金は直接銀行に貸し付けることが認められなかったための方策であり、その一方で、当時の大きな課題であった農村負債整理および自作農創設の政策にもかなうもので、一石二鳥の妙案であった(前掲『青森銀行史』)。県債は県下各行の資金調達を潤すことになるが、表11のように、五〇〇万円のうち三八〇万円余り、配分率にして七六・三%が第五十九銀行へ流入しているのをみると、この資金は同行のために用意されたといっても過言でないだろう。それは、県下における金融界の安定には、県下の親銀行たる第五十九銀行の復活がなければありえなかったという考えからであろう。
表11 県債500万円の各行別流入額 | ||||
銀行名 | 旧債借替資金 | 自作農創設資金 | 合計 | 配分率 |
円 | 円 | 円 | % | |
第五十九 | 2,392,856 | 1,419,788 | 3,812,644 | 76.3 |
佐々木 | 190,775 | 15,030 | 205,805 | 4.1 |
弘前 | 145,457 | 82,256 | 227,713 | 4.6 |
金木 | 59,910 | 27,906 | 87,816 | 1.8 |
陸奥 | 184,592 | 7,136 | 191,728 | 3.8 |
板柳 | 59,720 | 30,100 | 89,820 | 1.8 |
三戸 | 51,840 | 0 | 50,840 | 1.0 |
尾上 | 162,590 | 66,574 | 229,164 | 4.6 |
板柳安田 | 81,060 | 23,410 | 104,470 | 2.1 |
計 | 3,327,800 | 1,672,200 | 5,000,000 | 100.0 |
前掲「昭和恐慌期における地方銀行の破綻と復活」 | ||||
注) 配分率は四捨五入したため、若干誤差が生じた。 |