終戦直後の教育

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二十年十月、連合軍総司令部は終戦に当たって、日本の教育処理の方策を明らかにして四項目の指令を発した。その第一では戦時教育体制の停止とその切り替えが指示され、第二に教職員の追放、第三に神道の処理が指令され、第四には十二月末日付けで、修身、地理、歴史の授業停止と、この科目の教科書を全国からすべて回収し、廃棄処分にすることが指令された。この指令に基づいて、弘前各校は修身、国史、地理等の掛け図類や軍国主義に関係のある指示図書類を、校庭に山積みしてこれを焼却した。
 十二月、青森県進駐軍第三司令部の指令として「軍国主義的、国家主義的教育ヲ許サズ」と次のことを禁止した。「挙手ノ礼」や「気ヲ付ケ」の号令や姿勢、「軍歌ヲ歌フコト」や「歩調ヲトリテ歩ク、軍艦遊ビ、ヘイタイゴッコ」「武道(剣道、柔道、薙刀)ノ授業」、体操の隊形を作る場合の「注目」「右向ケ、左向ケ」などの号令などである。
 昭和二十一年(一九四六)一月、文部省の指示によって、国語、算数、理科の教科書の中で、内容や表現の適切でない箇所が削除されることになった。削除箇所が明らかになったのは一月二十五日で、各国民学校では不適切な箇所を教師の指示により、児童が教科書を墨で塗りつぶした。これが米軍占領下の「墨塗り教科書」で、二十一年四月の暫定教科書ができるまで使用された。

写真62 戦後の墨塗り教科書

 二十一年一月九日、各国民学校天皇皇后両陛下の御真影の奉還を命ぜられ、同日中津軽事務所長を経て県に奉還した。御真影の奉還はこれまでの日本の教育、ことに戦時教育の終結を国民に強く印象づけたのである。