インフレの進行と低物価運動

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戦後の日本経済は混乱からスタートしたが、そのなかでも物価変動は激しかった。いま、都市・農村総合の消費者物価指数を見ると表19のとおりである。
表19 戦後消費者物価指数
(昭和9年~昭和11年=1.00)
物価物価
昭和2148. 21昭和31317.55
22108.6332326.47
23191.1133328.20
24240.0634332.74
25230.4935342.91
26265.1436360.03
27277.7937383.68
28297.3438411.73
29314.8939428.93
30315.2140462.35
大川一司他『長期経済統計8物価』東洋経済新報社、昭和42年
注)都市・農村の総合

 このように、戦後のインフレーションの進行は著しかった。このインフレーションは戦時下に起因するものであるが、戦時下においては政府の強権的な統制により、一応は押さえ込まれていた。ところが戦後になると、軍が解体し、また、政府の要員も多くの人員が職を離れたため、多額の退職金を払い、さらに戦時下に購入した軍需品の支払いを戦後に行った。こうした経費は臨時軍事費の支払いによって賄われ、敗戦の日である八月十五日から十一月までの間に、二六六億円の臨時軍事費による支出がなされた(安藤良雄『日本資本主義の歩み』講談社、一九六七年)。こうして一気にインフレーションは爆発したのである。これに加え、戦時下から続いた物資の不足がインフレーションの昂(こう)進を招き、特に食糧不足が深刻であった。
 こうしたインフレーションは青森県においても進行し、弘前市では低物価運動が起こった。新設された弘前商工会議所も運動の中心になった。
 昭和二十一年(一九四六)に青森県商工経済会が解散し、その弘前支部が中心となって弘前商工会議所が設立された。設立趣意書は次のとおりである。
  弘前商工会議所設立趣意書
 終戦後の新事態に即応し、民主々義の理念に立脚して新商工会議所の設立を企画するに当り、茲(ここ)に其の趣旨を闡明(せんめい)し、商工業関係各位の御賛同を冀(こいねが)ふ次第である。
 戦時経済の必要に基き設立された青森県商工経済会は、民主化の要請に従って近く其の解散を断行することゝなった。而(しか)して之に代り全く新しい商工会議所を設立し、商工業者の機関として商工業者に依(よ)って運営される民主的商工業の再建と発展とを促進し、以(もっ)て平和日本の建設に寄与しようとするのが吾々の計画の根本趣旨である。
 蓋(けだ)し終戦後の困難なる事態を克服し、民主的に商工業の再建と発展とを実現するには業者が衆智を集め、前途の見透しを明にすると共に、一致協力互に手を携へて共通目的の為に総力を発揮することが最緊要であり、綜合的に商工業界が連絡、提携、協力、協調の要は今更呶々(どうどう)を要する迄もない。新たに設立しようとする弘前商工会議所は、名は古い伝統を継いではゐるが、その実質は全く新しい性格と構想とを盛ったものであり、其の根本組織は加入及脱退の自由な、会員の自主的な協力に俟(ま)ち、従来の如く強制加入及強制徴収を基礎とするものではない。而して役員其の他決定の方法も、政府の認可とか監督等に依るものではなく、商工業者の民主的選挙に依り、其の事業の運営も盛り上る意志を十分取入れ、それを最大限度に活かさうとするものである。民主的体制に於ては与論の力が大きい。吾々は商工業の健全な発達を図る為、商工業者の正しい与論を集成して、之を阻害する如き政策を排除し、之を促進する政策の実現を期さねばならない。広く商工業者の総意を結集し、正しい与論の貫徹を図ることは、新商工会議所の重要な任務の一つである。
 そこで吾々は或は業種別に、或は一般綜合的に各種の情報を交換し、意見を発表し、懇談を交へ、検討を加へ、討議を行ひ、与論を形成すると共に、之が為めに必要な各種の調査資料、統計及研究の結果等を整備、共通目的の為めに、其の総力を合せて実現を期する民主的機関を商工業者に提供し、益々商工業の再建と発展とに歩調を揃へて邁(まい)進しようとするものである。
 想ふに此の計画は、我が国の前途を明るくするものであると同時に、斯(か)かる新機構の成功の為めには、業者諸君の理解ある提携と、熱心なる協力に依らねばならぬことは言ふ迄もない。
 吾々は各方面の商工業者並びに関係者各位が、深く設立の趣旨に賛同され、来って之に加はり、其の機能の発揮と活用とに全幅の支援と協力とを賜はらんことを切に希望して止まない次第である。
    昭和二十一年九月
      弘前商工会議所設立発起人(五十音順)
雨森良太今泉良雄今野伊三郎葛西徹雄嘉瀬英夫川嶋実木村新吾近藤敬蔵近藤東助佐藤弥作坂本久左衛門宿谷重平清藤唯七武田慶造竹林孫右衛門竹内助之進辻井慶助辻井幸次郎、上田与惣市、登島権作奈良金一西沢衛守西谷佐一、日通弘前支店、浜田忠治平川力弘前無尽株式会社弘前信用組合弘前青果株式会社福士憲三、藤田寅大郎、本堂敬吉武藤米大郎山形誠三郎、山形良大郎、八木橋文平吉井勇吉田文吉宮川秀三郎三上清一

(前掲『弘前市商工会議所五十年史』)


写真115 弘前商工会議所新館落成

 こうして再出発した弘前商工会議所は、低物価運動の中心になった。昭和二十三年(一九四八)に弘前商工会議所において、「弘前地区商工業者大会 物資物価取締に関する官民懇談会」が開かれた。この大会には多数の商工業者に加え、青森軍政府司令官ホール中佐や、青森軍政府商工部長マッカーラー大尉も参加し、訓辞を述べている。ホール中佐の訓辞は、闇取引の弊害を訴えるものであり、マッカーラー大尉の訓辞は法律を守ることについてであったが、こうした占領行政の責任者が参加する大会が開催されたことは、物価問題が官民挙げての重大問題となっていたことを示している。商工業者大会当日には次の宣言が採択され、また、決議がなされた。
    宣言
 混乱せる社会状勢と打ち続くインフレ昂進に、再起日本の歩み遅々として進まず、商工業者は其の目標を失い、消費者又耐へ難き生活難に喘(あえ)ぎつゝあり、殊に当弘前地区に於ては流れ込む闇商人、悪徳業者跳梁跋扈(ばっこ)して、正しき者将(まさ)に其の影を潜めんとす、而して民主日本の経済復興を常に懇切丁寧に指導し来れる当局は、過般来其の正しき指針の一端を表示し、吾等に対し警告を与へたり、終戦に続く狂燥(〔躁〕)状態は早くも去れり、情勢は既に闇利得、暴利に盲動する時に非(あら)ざる事を知り、今こそ吾等本然の道に復し、古城の姿床しき郷土を、伝統ある商人道を似て守らずんば、商勢必ずや萎微し、商家の没落累々たるは必定、大弘前の飛躍は到底望むべくもあらず、今や吾等自粛自戒すべし。
 中小商工業者の振起こそ経済再建の一環たる今日、吾等商工人は革新的想図を以て共に諮り、政府の施策に応(こた)へ、茲に更めて決議を為(な)し、吾等の覚悟を闡明し、大衆の協力を得て新しき首途を為さんとす。
 右宣言す。
    昭和二十三年五月十二日 弘前地区商工業者大会
  決議
本日茲に商工業者大会を開き、宣言文の趣旨に基き、吾等左記事項を決議し、之が実現達成に努力す
    記
実施事項
 ①適正価格の励行
 ①価格表示の厳守
要望事項
 一、弘前地区価格査定委員会の拡充強化を図る
措置事項
 一、徒(いたず)らに官辺の指示に頼らず業者自身が自発的精神力を喚起す
 一、売上税反対並不急不要商品に対する統制撒廃の件陳情
 政府の企図しつゝある売上税は中小商工業者及一般消費者に対し多大の影響を及ぼします。吾々は今、所得税、物品税の外、営業税並附加税等の地方税を加へ、税の重圧に喘ぎてあります。
 勿論、現下復興経済が要求する膨大なる歳入確保には、業者、消費者を問はず国民として当然協力達成すべき義務ではありますが、担税力にも自ら限りあり、角を矯めて牛を殺す諺(ことわざ)を受けざるが肝要であります。而も近く行はれる物価改訂と運輸通信料の値上によりインフレ昂進益々其の度を加へんとする状勢下にあつては、本税の消費者転嫁により愈々(いよいよ)国民大衆の重荷を招置する所以(ゆえん)であります。
 更に物価改訂の問題に就ては、当局に於ても愈々慎重なる熟慮を以て臨まれんと思考致しますが、国民生活の確保を図るためには、主食並繊維製品を中心とする公定価格の堅持は之を適当と認めらるゝも、最近に於ける家庭用具、日用雑品等生産過剰品若しくは不急不要品は、新価格体系整備後は、可急的速かに丸公撤廃の上、業者の急にして活潑(ぱつ)なる活動を刺戟(げき)し、徒らに闇利得に陥らしめざる様、充分なる配慮を希望する次第であります。

 吾々は本日の業者大会に当り、丸公励行の良心的決議を為し、業界の刷新と明朗化を目指して新しき発足を誓つたのであります。
 当局に於かれては、吾々の苦衷を察し、前述の通り悪税、悪統制に対しては賢明なる断を下し、官民相携へて、一日も早く祖国復興に進まんことを切望し、茲に陳情致す次第であります。
(同前)

 昭和二十三年に、青森県は物価監視委員の制度を作り、雨森良太、土田与惣市等が弘前地区の委員に任命された。こうして、弘前市経済警察弘前商工会議所物価監視委員会等が協力して、公定価格の維持、価格表示の実施などに努めた。物価監視委員制度は消費者の利益保護を掲げた活動をその基本としていた。基本方針は以下のとおりである。
   物価監視委員制度運営の基本方針
一 構成
(1)少数精鋭主義
   青森市一五名 弘前市一〇名 八戸市一〇名程度とする
(2)主要都市中心主義
   今回は三市のみに設置するものとする
(3)消費者代表中心主義
   今回は徹底的に消費者代表委員をもって構成し、強力なる活動をなさしめる
二 活動目標
(1)消費者利益擁護中心主義
経済的弱者たる消費者大衆の利益擁護こそ本制度本来の任務であるので、特にこの点を基本目標として監視活動を願ふ

(2)消費者活動の指導
闇を排除し公価の励行を求める消費者の組織活動が次第に広汎強力に拡がりつつあるがこの運動は現下の経済状勢下において当然起るべくして起きた運動であり、この育成如何(いかん)によりその結実するものには大きな期待が持たれ、又この運動の目的とする所は監視委員の本来の任務目的と合致するのでこの種消費者活動の育成指導も主要なる活動目標とすべきものと考へる

(3)消費者との連絡の緊密化
これは前二項と関連することであるが、従来の監視活動に見るべきもののなかった原因と考へるとき、これは消費者に対する本制度の認識の普及を図ることに不足があったこと、又消費者と連絡を図ることの熱意不足により監視委員の活動に対し一般消費者の理解も支持もなかったことによるものであり、与論の強い支持を後楯として一般大衆の生活擁護を本来の使命とする本委員会はこの点深く留意する必要がある

(4)消費者の信頼獲得
不正に対する断乎(こ)たる処置、諸妨害、懐柔に屈せず常に正しい強い監視活動を推進し消費者よりの信頼獲得に努めること

(5)業界指導の積極化
現下の経済情勢に対する正しい認識を持たしめ、耐乏経済下における商業道義の低下の防止、商品流通秩序の確立等のため、業者に対する指導に力を入れることとする

(6)地区委員会の自主活動
   (以下略)
(同前)

 また、同年五月に弘前物価安定委員会が組織された。次いで、同年十一月に青森県が中心となって、青森県物価安定推進弘前地区発起人会を開き、運動の推進を決めた。その大要は次のとおりである。
  青森県物価安定推進運動要領
第一、趣旨
現在我が国で最も大きい問題になってゐる物価の安定は合理的な価格形成と強力なる取締りと併せて政府の物価政策に対する国民の正しい理解と協力に依る所極めて大きい
そこで今回の価格補正を機会に公定価格励行に関する宣伝と啓蒙指導を一段と積極化させんとするものである

第二、目標
 A.一般目標 県民に丸公を知らせると共にヤミ価格の非合理性を徹底させ丸公を守らせること
 B.具体的目標
   イ、丸公の改訂の理由を知らせる
   ロ、三七〇〇円ベースの意味を知らせる
   ハ、丸公を設ける理由の説明
   ニ、丸公を守らねばならぬ理由の説明
   ホ、丸公の周知徹底
   へ、ヤミ業者を排斥させる気運の醸成
   ト、耐乏生活要請
   チ、商業者に対し商業道義の昂揚、遵法精紳の涵養を計る
第三、実施事項
 ①説明会、座談会の開催(県内主要都市毎に開催する)
  イ、指導者層対象
学校教員、民生委員、物価監視委員、価格査定委員、市町村吏等を対象とし本運動の趣旨徹底を計る

  ロ、家庭主婦、一般消費者対象
価格補正の理由、価格形成の要旨を解説し公定価格の合理性を理解させ、闇撲滅の重要性を認識させる

  ハ、学生生徒対象
   小学校新制中学新制高校等において社会科々外講義として説明する
 ②標準店の指定
県内主要都市に標準店を指定し、優良品の丸公販売励行、量目の正確取引を模範的に実施させる、なお目下県内数地区において漂準店運動が展開されてゐるが、この運動を正しく育成し、優良店舗を増やして行く

 ③丸公相談所の開設
  業者及び消費者の利便を図り、丸公問題についての相談所を県内数ケ所に設置する
 ④展示会、即売会の開催
価格査定委員会並に県内優良商店の協力を得て開催し、優良品の丸公販売をなし、丸公に対し信頼性を高め、丸公を知らしめる

 ⑤公定価格表の配布
主要消費都市における説明会、学校に於ける講義等の集会時に参集者に対し頒布すると共に、新聞綴ぢこみ等により一般家庭へ配布する、体裁は必需品数丁品目の丸公表と買物メモを内容とするポケット判手帳型及び新聞紙型による

 ⑥街頭宣伝
  声の宣伝、立かんばん、パンフレット、壁新聞、丸公表等
 ⑦新聞ラヂオの利用
新聞記者との懇談会を開催し記事掲載を依頼する、本運動の展開の解説、誌上座談会等々記事を掲載する、ラヂオは対談、座談会、ラヂオドラマ、生鮮食料品丸公紹介等に利用する

 ⑧物価監視委員の活動の促進
価格表示励行の指導取締り面、その他本運動展開の最尖(せん)端で活動する者として、充分なる活動をなさしめる様連絡を強化する

 ⑨価格査定委員会の監査業務を活潑にすること
 ⑩経済事犯取締りの強化
  本運動の推進と並行して経済事犯の取締りを強化し、悪質闇行為の根絶を図る
(同前)

 こうして物価安定運動は進められたが、弘前市においては物価安定主婦の会が結成され、正月用品の廉売などの活動を始めた。この運動は全県に広がった。また、県内でよい店を選び、「主婦の店」として推薦するという運動も起こった。