知事・市長への陳情

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弘前商工会議所は、安定成長期に各方面に陳情を活発に行った。まず、昭和五十一年一月に県知事への陳情を行った。
 その内容は、まず、道路網の整備について、(1)国道七号線バイパスの石川まで延長について、(2)国道一〇二号線バイパスの早期開通について、(3)アップル道路の早期開通について、(4)県道石渡大根子線(現弘前環状線)の早期完通の促進であり、また、奥羽線青森弘前間の複線化の早期実現の各項目と新空港の設置について、目下調査の段階にある鶴田新空港について既定方針どおり早期建設の計画を樹立せられたいということであった(『弘前商工会議所会報』二二五)。
 同年九月に、弘前商工会議所は竹内知事を迎え、懇談した。この時の話題は改めて出したもので、東北新幹線の建設問題、浅瀬石川ダム建設について、沖浦ダムの浚渫(しゅんせつ)、大型空港建設問題、岩木山麓基幹工業団地の建設問題などであった(『弘前商工会議所会報』二三一)。知事の回答は沖浦ダムの浚渫については実施し、工業団地建設については調査すること、空港については安全第一であることであった。
 弘前商工会議所は、同様の内容を福士市長にも要望している。これに対し、市長は回答を寄せ、また、これをもとに懇談を行っている。
 市長の回答は、駅前と駅東側を結ぶ連絡道路についてや、弘前駅民衆駅化について努力すること、弘前バイパスは五十二年国体までに完成予定で、石川バイパスも引き続き整備に入る予定であること、松森町から国道七号線バイパスまでも五十二年国体までに完成する。ただし、国鉄線横断橋は片側二車線であること、県道石渡大根子線は五十一年度五千万円の予算で用地買収を完了するとともに、外瀬橋(現城北大橋)の橋台の一部着工予定であることのほか、岩木山麓の中核工業団地は、地域振興事業団の調査結果を待って実現を図りたいこと、旅館団地の指導に専門職を充てたいと考えていること、旧庁舎などの跡地は、弘前市にふさわしい施設を建設するため、時間をかけて十分検討すること、広域都市圏構想実現のため、国、県の公共投資を誘発しながら圏域が一体となって努力していくことであった(『弘前商工会議所会報』二二八)。
 また、空港建設についての意見は次のものであった。
 現在の青森空港は、県が管理する第三種空港として昭和四十年から運航されているが、標高一九九メートルの高台にあるため、十二月から四ヶ月間休航する上、気象条件に左右されることが多く、年間の欠航率も十%を超えている。このため県においては、一年中運航可能でしかもジェット機の就航もできる新空港の予定地として、鶴田町地区を指向し、四十六年十二月から周辺の気象調査を実施している。五十一年度においても調査費二七〇万円で気象調査を継続するとともに、今までの観測データーを分析するため、コンサルタントの委託費一〇〇万円を計上し、この報告を得て空港問題懇談会の意見をきくこととしているが、津軽地域六十万人の利便と発展のためにも関係機関に対し、新空港の早期建設を働きかけて参りたい。
(同前)

 広域都市圏についての見解は次のものであった。
 本圏域は、藩政以来、弘前市を中心とし、周辺の農村地域を後背地として一体となって発展してきた。地域開発の一般的なパターンは中心都市に人口及び諸機能を集積し、その拠点性を高めることによって都市的魅力、都市的利便の増大をはかることとされているが、本圏域においては、弘前市(七、二三一人増)、黒石市(一、一〇七人増)、浪岡町(二一人増)の人口は微増しているものの、周辺農村部は人口が減少し過疎化の問題をかかえており、いかにして農村社会の経済的社会的安定をはかるかが当面の課題とされている。しかも、過疎化による農村社会の崩壊、経済力の低下は、中心都市弘前市の発展を阻み、ひいては圏域全体の衰退につながるものと判断されるところから都市と農村相互間の機能分担を明確にし、広域都市圏として一体的な発展をはかる方策として、弘前~平賀~尾上~黒石~田舎館~常盤~藤崎を環状に結ぶいわゆる津軽連環道路を設定し、この連環道路を広域基幹道路の結節点附近に物的生産施設及び流通機能を配置する。また、この環状ゾーンに含まれない浪岡、板柳、岩木、大鰐の市街地を半円形に結ぶ外環状道路を設定し、産業、生活拠点施設を配置して周辺農村部におけるコミュニティの拠点とする。
 このようにして設定した津軽連環都市圏は、環状パターンをもつ単一中核都市として機能させることによって、高次の都市機能が可能となり、既成市街地への過度の集中も避けられて、津軽のもつすぐれた風土を維持し、(中略)地域のもつ開発のインパクトを十分に活用しつつ、国県の公共投資を誘発し、長期的展望のもとに圏域が一体となって努力しなければならないものと考えている。
(同前)